双頭の鷲は啼いたか

古谷タケル、それがこの男の名前だった。まったく聞いたこともなかった。もっと近寄りたい、触れたいと思った。看護師に許可をもらいガラスのドアの中に入った。

「ごめん、こんな苦しい思いをさせて」

武史はつぶやきながら、そっとタケルの人差し指に触れた。柔らかいその指はまるで女性のようだった。白くて細い、節くれのない長い指は自分の物とほぼ同じものだった。爪の形まで同じ。なんてことだ。切り方にも二十数年分の癖があるだろうに……。

自分の指は消毒液でガサガサしていたが、彼はつるつるとしてきれいな肌をしていた。どんな人生を送ってきたのだろうか。声が聴きたい、何か話をしたい。そんなセンチメンタルな気持ちでいっぱいになった。

早く元気になってほしい、この時は純粋にそう思った。知らない間に頬を伝う涙をそっとぬぐった。だがそれとは別に、武史は包帯の間から出ていた髪を一本拾うことを忘れたわけではなかった。

唯一の友人、広瀬に自分の髪と一緒にDNA鑑定をしてもらうつもりだったからだ。

「武史さん、お見舞いですか」

回診に来た秋山医師が話しかけた。

慌てて武史は自分の手をポケットに入れた。

「ええ、自分のせいで、こんなひどい目に遭わせて」

「聞けば、この人が道路に飛び出したとか……」

秋山医師は計器の数値をチェックしていた。

「いや、僕が悪いのです」

確かにそうだが、大型バイクに乗っていた武史の前方不注意の罰則が科される。

「最近、指が時々動いたりするので目覚めてほしいですね」

「ご家族は?」

武史は尋ねた、普通は個人情報なので言わないところだが、武史と秋山は鴻池病院の中では師弟関係にあった。秋山は外科部長だったので、オペなどには立ち会うことが多かった。四十代で一番医師として忙しく成果の上がる時期で、いつも無精ひげで眠そうな顔をしていた。直属ではないまでも父親が病院長だから、ほぼみな媚びる。だが、秋山医師はフランクに接してくれるので好ましかった。

「お母様が来られていましたが、脳波が安定したから、仕事に行かれました。看護師さんです」

電子カルテに打ち込んでから武史の足を少し見た。看護師にタブレットをポンと渡した。

「忙しいのですね」

「二人だけの家族みたいです。入院費はいらないし、見舞金も出ているのに」

あっ、要らぬことをという顔をして、すぐに表情を元に戻した。