穴の奥には
―FBに投稿したドキュメント「悪いおじさんの教育論」から
(写真を出せないのが残念である)
―どうだ この洞穴 探検するかい?
黒々とあいた洞穴の前で 私がけしかける
この穴は奥が深いんだよ 奥がどうなっているか 実はよくわかってないんだよ
どうだ なかに入って確かめてみるかい? ときどき戻って来ない子もいるけどね 笑
―どうする 入ってみる やめておく?
毎年一月から三月 私たちの市民団体が運営する鎌倉・玉縄龍寳寺の重文古民家と
歴史民俗資料館に 春休み前の体験学習にきた鎌倉の小学三年生が
いちばんエキサイトしたのは 古民家の奥の苔むした岩陰にある洞穴の前に並んだときだ
子どもたちがやっと立てる高さの洞穴の闇 鎌倉の歴史の暗闇が
目の前に迫ってくる
―入ってみたい? でも怖いか 怖いよな
何がいるかわかんないし 穴の奥がどこまであるのかわかんないし 怖いよな
お母さんに危険なことは やってはいけないと言われてるだろうし
やっぱり やめておくか どうする?
―と追い打ちをかける
このとき子どもたちにはげしい好奇心と反抗心が鬱勃とふくらむ
同時に 抑制しようという心もうまれる 入ってみたいが入ってはならない
その岐路に立つ 数秒の沈黙(それこそ体験させたいことなのだが) そして
「入る入る入る~」と奇声があがった
洞穴の暗闇に 一人で 飛び込んでいく子がいた
すると一転 空気が変わった どうすべきか躊躇っていた子どもたちが
わっと声をあげ 一斉に飛び込んでいった
―これが悪いおじさん提供の体験教育の一つである
人間にはやるかやらぬか行くか行かぬか
それを自分自身で判断し決めねばならないときが必ずくる
それが人生というものだ
暗い穴 そこに何があるのかわからない わからないから 知りたい
未知の体験だからこそはげしく惹かれる だがその分だけ 危険の予感もある
さあ そのどっちを選ぶか それは誰も 教えてくれない
最後は自分自身で決めなければならない
だが 危険を犯しちゃいけない
勝手に決めちゃならない
と子どもたちは大人から教えられブレーキをかけられてきた
だからこそ古民家にくる鎌倉の子どもたちは「いい子」ばかりである
大人の思い通りにならないハラハラさせるような
粗けずりの野生児は殆どいないのである
これが教育のめざすことなのだろうか
大人をハラハラさせない「いい子」は親や先生は安心かもしれないが
グライダーのように引っ張られないと飛べない大人になっていくのじゃないかー
と思っていたら ここにも野生児が一人
奇声をあげて先陣を切り未知の洞穴に突進していった
すると堰を切ったように クラス全員がそのあとに続いたのだ
(この後 洞穴の中では悲鳴と笑いの大混乱が起きるのだがそれはそれで
体験学習の一環なのである)