さんぞう女性論序
女という迷惑で愛しい謎について またはその謎に捧げる恋文
理由はわからないが、棟方志功の画業に触れたくなるときがある。今日も志功全集から『女人の柵』を開いた。女があばれている。女の謎がとびこんでくる。女という生命が渦巻いている。ここには絵師のあふれるばかりの健康と情熱と信仰がある。これまで必要だと信じられていた一切の技法的知性を投げ捨てて間違うことがない生命の自由奔放がある。そこにはフロイトにもサラ・コフマンにも解けるはずもなかった「女という謎」が謎のまま躍動する。その不思議に対する天真爛漫な驚きと憧憬と洞察に私自身も内部で共振をはじめるのだ。
五月の森を
志功の女がとんでいる
東北の女がとんでいる
古事記の女がとんでいる
男たちの女がとんでいる+
私のなかの女がとんでいる
きみはとぶ
不思議である
女とは謎である
その謎は解けるだろうか
だがフロイトの観察も分析も群盲の象にすぎない
前エディプス段階 解剖学的性差以前の闇は走査できない
個人的観察によれば
女は無限に変化して留まることのない現象である
理解しがたい現象である
だが男はその女から生まれつくられていく
生物史は生きものの根源に女がいて男はそのついでにできたことを認めている
男は女からつくられた加工品なのである
だから女に愛されていないと男は一人立ちできないのである
只管もらったものを蕩尽しているに過ぎない
その壊れやすい生きものが男である
だが女は地母神から生じみずから人間の女になった地母神の末である
地の恵みを男たちに分け与えることでより濃密な女になっていく
主体を自分より与える方に移してしまうときにしなやかに女である悦びを生きる
男にあるのは「不足感」である
足りないものを埋め合わせようと常に苛立っている
それは好きなだけお金を稼ぎ世界中の女という女に愛されたとしても
まだ満たされることはないだろう
それぬゆえに男なのである
その行動力も創造性も美意識も
樹木の根っこが土を求めるように
絶えずゆらゆらとその穂先を外に伸ばしているだけである
男の激しい怒りに驚くことはない
それは激しく愛を求めているだけである
差別に奔ったりするのは男がそれを恐れているからである
必要以上に論理的であろうとするのは男が臆病だからである
ひたすら愛されていない自分に耐えるためである
戦争を始めるのはそういう男たちである
夫婦喧嘩が絶えないと嘆く夫に囁いたことがあった
男は怒りたい「こと」があるから怒る
女は怒りたい「とき」があるから怒る
この違いをわきまえないと大事に至るのですよ
これはあなたのように経験を積んだ夫でも忘れがちなこと
そのとき男は自分が叱られる理由はないと
ムキになって抗弁する あなたのように筋道を立てて―
それがいけない ちゃんとした男だと自任している男ほど
やってはいけないことを何度でもやりがちなのだ
それはなんの解決にもならない
問題を複雑化させあらたな攻撃目標をあたえるだけ
その先は―ピストルにはライフル ライフルには機関銃 機関銃にはバズーカ砲
というように武力闘争にエスカレートする危険が待っているのですよ
その場合も男には勝ち目はありませんよ と
ではどうしたらいいのか
女が怒ってエキサイトしているときは
ぜったいに打ち合ってはいけない
ひたすら首をひっこめ、サンドバッグになってパンチを受けるしかない
自然災害には正面から立ち向かっても勝てない
暴風の通り過ぎるのをじいっと待つしかないからです
ありがたいことに女性の「怒り」の爆発は低気圧のように
早々に通過する性質がある その数時間を辛抱できれば問題解決です
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