「死というものに想念がいきついてしまうと、全て他の事笑止千万なり」という文言をわざわざ巻頭言に挙げる作家の作品を来栖は愛読したこともある。

二〇代後半に体験してしまった父と弟の死、そして彼らへの記憶はどういうわけか彼の脳裏から次第に失せていった。

しかし母親のほうは生前を通じ死の前日の様子まで、彼の記憶の中にしっかり根を張ってしまっている。

母親は「神経衰弱」、「適応障害」「鬱」「ヒポコンデリー」等々、専門医や医療通と言われている素人からも生前いろんな病名をつけられていた。

亡くなる直前の頃だったと思うが、来栖は彼女が食事をあまり摂らず、不眠に悩まされていたことを今でも覚えている。

彼女のことでは日常の行動自体が当時既に異常であったから、それに随伴することでとるに足らないことに見えても、彼の記憶に残ってしまうものが多くあった。

彼女は夜になると頻繁に徘徊していたようで、その様子を家族の者に時折見られていた。そのような事情もあり、母親が精神的に少しおかしくなってきているということを来栖たち、子供のほうでも気づくようになっていた。

かなりやせ細った体で日中でも寝室に一人横になっている状態が続き、彼女の死は朝食に現れない母を気遣って様子を見に行ったすぐ下の弟が最初に知ることになった。

かかりつけの医師が一〇年以上も診てくれていたこともあり、世間体をはばかってくれた結果なのか、死亡診断書上での死因は「心不全」ということに落ち着いた。彼女の子供たちにとっては真因は栄養不良なのか、全般的な心神喪失なのか、あるいは具体的な病名も挙げることができないような精神疾患が原因で死に至ったのか、わからずじまいだった。結果としての自死を彼女は徐々に選び取っていったのではなかろうかという考えも捨てきれなかった。

寝室で母親が死んでいるのを発見した弟が彼女の体をベッドに戻し、普通の死にざまと映るよう努めたということをポツリポツリと漏らしたこともあり、来栖としては余計に疑心暗鬼になった。母親の死因は結局謎のままだった。