夜は公園で寝る。
公園のトイレで洗濯をし、行水をし、公園の木の枝に洗濯物を干す。
毎日新しい傷が出来、私は次第に弱っていった。
それでも私は神の言葉を語るのをやめなかった。
ホームレスの人々だけは私の話をじっと黙って聞いてくれる。
涙を浮かべる人もいる。
そうしておずおずと私におにぎりやスナック菓子や缶コーヒーなどを差し出す。
私の胸は慈悲の思いでいっぱいになり、その人たちを抱きしめる。
するとどの人もすがるように、私にむしゃぶりついてくる。
それは当然のことだ。
私は救済のために遣わされたのだから。
俗世に生きるものは精神とともに身体の慰みも得たいと思うのは仕方のないことだ。
そのようにして私は惜しみなく私を人々に与えた。
すると、彼らは公園から去らなくなった。
一人、また一人と公園に住み着くホームレスが増えてゆき、皆、毎日ささやかな貢物を私に差し出した。
やがて公園は私たちの王国となった。
私は尚も人々を導くために公園の外へ出たいと願ったが、私の民がそれを許さなかった。
彼らは私が傷つけられることを恐れ、私を失うことを恐れた。
その代わりに民たちが人々に語りかけるようになった。
物言わず風景と同化していたはずのホームレスが急に言葉を持ったので、人々は恐れおののいた。
私たちは王国の暦を定め、王国の祭りを定め、王国の外で集めたものをともに分配して穏やかに暮らした。
そして私はみごもった。
この子こそ神の子だと私は思った。
人々の願いの結晶、祈りの結晶。
この子こそこの王国の王にふさわしい。
子供の誕生を、皆が父としてなおかつ臣下として祝福してくれた。
しかし、ある朝突然に王国は大勢の警官に取り囲まれ、住居は容赦なく壊された。
それほどまでに公園周辺の住民は私たちを忌み嫌っていたのだ。
皆、着の身着のまま逃げ出し、次の王国を求めてあてどなくさまよった。
今度は大きな川の土手下に王国を築くことにした。
私の民はなけなしの道具を持ち寄り、それぞれに工夫をこらし、私と子供のために段ボールの宮殿を造ってくれた。
私は神に感謝し、民の無事を祈って、新しい宮殿での初めての夜を迎えた。
しかし、神は更なる試練をお与えになった。
すでに私たちの王国は一般市民の憎悪の的となっていた。
何者かが私たちの王国に火をつけた。
無我夢中でお互いを呼び合い、川の水を段ボールハウスに掛け、無事な者は怪我をした者の手当てをし、持ち出せるものはすべて持ち出し、全員が疲れ果ててしゃがみこんだ頃、しらじらと夜が明けた。
幸いに死者は出なかった。
私は怪我をした者の回復を待ち、誰にも告げずに去った。
迫害を受けるのは私たち親子だけで十分だ。
その後も神の言葉を伝える私の旅は続いている。
時には石を投げられることもある。
いつか私は道の途中で倒れるだろう。
しかし人々が滅びる前に神の言葉が人々の耳に届く可能性が万に一つでも残っている限り、私に休息はない。
そして私が倒れたあとは、息子が継いでくれるだろう。
それだけが私の希望だ。
時々平凡な夫と連れ添う平凡な主婦だった時の夢を見る。
今となっては許されるべくもない生活の、遠い名残だ。