ホウ素はロケット用固体燃料の点火剤に使用されていたが、当時、輸入品で高価、入手困難の状態だった。

ロケット推進薬製造部門から調査を依頼され、文献調査から始めた。国会図書館に赴き、一九一〇年代のドイツの文献から偶然ある方法を発見、英語に翻訳した。これは酸化還元反応を利用した基本原理の記述だった。

粉末混合物の組成は試作試験により決定した。この粉末混合物に点火すると燃焼が進みその残渣を塩酸で洗い不純物を除去洗浄すると硼素粉末が得られる。そのプロセスが完成した。

広大な工場敷地の奥深くにあった燃焼試験場を利用し、平地に黒鉛の板を並べ、風向きを見て風上から作業者が点火する。問題は大量の亜硫酸ガスや硫化水素を含んだ大量の煙を発生することだった。

最寄りの消防署にはあらかじめ通知しておいた。このガスの強烈な臭気が工場の敷地と社宅に拡散していき苦情が出だした。止むなく煙の洗浄設備を設置して臭気の軽減を図った。

計画会議で工場敷地内に硼素粉末の製造のための別会社の立ち上げが決められ、量産されるようになった。

現在、打ち上げられているブースターロケットの点火にもしこの硼素が使用されているとしたら、それは約六十年前にこのプロジェクトで開発されたものだろう。

これらの固体粉末混合物の酸化還元反応関連技術は八件ほどの特許につながり、二度の社長技術表彰を受けた。

そのころ課長に昇進していたがその分責任がのしかかった重圧を感じていた。

製品化されたすべてのプロセスは完成のあとの量産が開発課の仕事に組み込まれた。

開発課は開発された製品製造の作業員も含め、五十人ほどのスタッフになっていた。“火薬以外何でも屋”のような存在になっていたが、これを毎日どのようにリードしていくか。

次々に研究課題が与えられるか発案できればスタッフに十分な任務を与えることができるが、ネタ切れになると寿司が握れない。

政裕は社内で一匹狼的な行動をしていたし協調性に欠けている自覚があった。

他の部門の同僚や上役達も自分を遠巻きにして見ているような、皆から浮き上がった不安定な感じがしていた。

そんな悩みをオープンに打ち明けることができなかった。