埼玉工場に復職と新製品開発

一九六〇年一月埼玉工場の元の研究係に戻った。

一体何をしてきたのかとだれもから聞かれたが、口止めされていたので説明できなかった。

それからは、本社技術部からいろいろな新製品開発のテーマが来るようになり、テーマの一つは火薬または爆薬ではなく、ガスを発生しない固体粉末混合物の酸化還元反応に関連したいくつかの製品を開発することだった。

その一つは粉末混合物でこれに高温点火すると酸化銅が還元され銅と錫の合金が溶融状態で生成する一種のテルミット剤だった。

この用途は銅の電導体の現場溶接に使用され、当時の各電力会社による発電所の建設が全国的に展開されていてこの需要が大きかった。

外国製品の情報を受け取っていたのでそれを頼りに作業を開始した。

文献と特許の調査を本社に依頼、数か月は方針の設定と実験計画に費やされた。数人の助手とチームを組み、組成の決定、付帯用具の設計、製造設備の設計調達などの作業に時間が費やされ、ようやく結果が出て商品化された。

本社の開発部と販売部が売り込みを担当した。二年後、開発課が新設され、今岡さんが課長、政裕は新製品開発関連の係長になり部下が増え、火薬類以外のもの一手引き受けみたいなことになった。

開発課には外部機関から導入された技術の製品化を始める係も併設された。

そのあと派生的に開発され、“発熱剤”として商品化されたものは当時国鉄で全国的に進められていた交流電化工事で、レールの継ぎ目に銅線(レールボンド)をはんだ付けするためガスバーナーの代わりの熱源として採用された。

バーナーでは加熱に時間を要するがこの加熱剤はこれをレールの片面に取り付け点火すると静かに発熱反応が伝播し瞬時にレール表面をはんだの溶融温度以上に加熱することができるという仕組み。

現場での実用試験のため製品売り込みを兼ねて電化工事区間に出張、保線区の作業員たちと一緒に作業、技術指導を行った。北は東北本線から、南は鹿児島本線までチームを組んで出張した。

次に開発されたのは、硼素粉末の製造だった。