プロローグ
二十年と少し生きてきたけれど、俺は自分が特別良い人間だとは思っていない。でも掛け値なしに良いことをしたと、自信を持っていえることもある。
大学三年生の冬、成人の日も過ぎて、新年ムードも薄れてきた一月のある朝。「本格的に就活が始まるなあ」と憂鬱な気分で、残り少ない授業に出るため家を出て、駅に向かう途中のことだった。道端で見慣れない小さな物体を発見した。少し近づくと小鳥だと分かった。動かない。もっと近づいて注視する。小鳥は死んでいるようだった。車にでもはねられたのか、それとも他の生き物に襲われたのか……。でもぱっと見たところ、目立った外傷はなく腐敗も進んでいないようだった。
たった一羽、道路で冷たくなっている光景に、悲しい気持ちが沸き起こってきた。小鳥から目を離せずにいると、冬なのに小さな虫がたかっていることにも気がつく。いたたまれなくなった。一瞬迷ったが、家からスコップをとってくる。小鳥を恐る恐るそのスコップに乗せて、近くの公園まで運び、埋葬した。そばに生えていた花を数本ちぎって、それも一緒に埋めた。手を合わせて不憫な小鳥が成仏できるように祈った。
そこでようやく一息つき、スマホを見ると同じ授業を取っている友人からLINE で「授業サボり?」とメッセージが入っていた。時刻は午前九時を回っていた。一限はすでに始まっている。
この授業、確か必修だったけれど出席日数は足りていたっけ? しかし、今から向かっても授業の残り時間は半分もない。出席としては認められないだろうな。それにスコップを持って電車に乗るのも嫌だ。逡巡したが、すぐに諦めた。ちゃんと出席するつもりだったが仕方ない。これはサボりではなく正当な欠席理由である。友人には「ちょっとしたアクシデントがあって出られなくなった」と返信した。
結果的に出席日数は足りていたので、単位は問題なかった。でも仮に単位を落としたとしても、自分の行動を後悔することはなかったと思う。多分。自分の善行を思い出そうとして、すぐに脳裏に浮かぶのはそれである。