昔から父は家族の財布を握っていて、決定権者はいつも父でした。私としては修士課程に進むよりも、当時流行(はや)っていた米国公認会計士の資格を取得したかったのですが、逆らうわけにもいかず学校探しを始めたのです。
すると、海外から日本の修士課程に進学できる先として年齢制限のない私立に限られました。単位さえ取得できれば学士を修了することができましたので、私は夏休みの補講などを受講して一年早く修了していたのです。
これも正直言うと逃げた結果なのですが、当時の心境として早く日本に帰りたかったのです。
なぜなら、言いたいことをはっきり言わないと評価してもらえない文化に自分は合わないと感じ始めていたからです。
欧米と同じように、オーストラリアの大学は授業中に発言しないと評価されません。普段の生活でも同様で、自分のやりたいことをはっきり言うことが求められます。
日本だと言わなくてもわかってもらえる土壌がありますよね。「以心伝心」とか「男は黙ってサッポロビール」とか。「忖度」も否定的に使われることが多いのですが、日本の文化として残しておきたいと思います。
私はこの海外流のアピールしなければいけない文化に疲れてしまったし、違和感というかもう付き合いたくないなと思ってしまったのです。
百点中、七十点ほどのできでも、「百二十点とりました!」ってアピールするの、どうかと思うのです。
こうして日本の私立の大学で目に留まったのが、当時ITバブルでIT関連の学部を新設していた早稲田大学でした。
国際情報通信研究科という名の下に、第一コースから第三コースまで開設し、第一コースと第二コースは文字通りバリバリの理系関連の研究、第三コースだけはITが社会に与える影響を分析するという名目で文系も応募できるようになっていました。
私はこの第三コースに応募し、幸か不幸か合格し、数奇な運命への出発点を迎えたのでした。
ちなみにこの学部、いまは学生募集を停止しています。流行りものは廃れるのも早いということでしょう。