「孤独」を辞書で引くと「①仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。②思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。」とあります。①は外形、②は内面を言っています。いつも一人で本を読んでいる人は、確かに①ひとりぼっちだけれども、②寂しくはない(あるいは楽しんでいる)かもしれません。卓球サークルに楽しみが見出せない人は、①仲間はいるけど、②寂しいかもしれない。高齢者の孤独問題の取り扱いは、そう簡単ではありません。
一方、「孤立」の意味は「一つまたは一人だけ他から離れて、つながりや助けのないこと」とあります。「孤独」に比べればこちらは判断しやすく、また高齢者は避けるべき状況と言えます。高齢になると、近いところに助けてくれる人がいることが大切です。家庭内での事故や体調急変、災害などいざという時に放置されかねないような環境は危険です。またそういう人がいれば、面倒な作業や手続き、力仕事なども代わってやってもらえるでしょう。
ある高齢者住宅では、毎日必ずラウンジに出てきて本や新聞を読んでいる男性がいます。ラウンジの近くにはスタッフが常駐しており、近くで人が行き交い、少しの賑わいもあります。
読書は家の中でもできますが、このような場にいれば安心できるのでしょう。この人は毎日一人でいますが、他の人たちから離れてはいませんし、もし何かあればいつでも助けを求められるような緩いつながりの中で暮らしていて、私には孤立もしていなければ、孤独でもないように見えます。
こう考えてくると、高齢者とその子が同居ではないものの近くに住む「近居」は優れた住まい方だと思います。高齢者にとっては、子や孫というつながりが近くにある安心があり、子や孫だから助けを求めやすいし、いつでも会って寂しさを軽減できるという条件が揃っているからです。同居していると子や孫の生活に巻き込まれてしまって、かえって孤独を感じることもあるでしょう。これが近年、近居を望む人が増えている理由かもしれません。