子犬のフィオリーナには、コンスエラのほかにもう一人母親代わりがいた。それは一ぴきの猿(さる)だった。一年前に、けがをして牧場に迷(まよ)いこんで来たメスの猿を使用人が助けたのだった。猿は、けがが治っても牧場から出ていかなかった。

フィオリーナを見たときから、猿はフィオリーナにつきまとった。ほかの犬たちには、近づこうともしなかったが、フィオリーナは別だった。フィオリーナの背中に乗るのが大好きで、時にはフィオリーナの体を仰向(あおむ)けにし、一心不乱にノミを取る姿が見られた。使用人たちは、それを見るたびにおかしそうにこう言った。

「また、母さん猿が大きな娘の世話をしているよ」

フィオリーナの産まれたこの国は、アンデス山脈やアマゾン川(9)という大自然に恵(めぐ)まれた美しい国であったが、ガルシア牧場の夕暮れは格別(かくべつ)だった。暑かった一日が終わって涼(すず)しい風が吹きわたるとき、草原を橙色(だいだいいろ)に染める夕日を見ていると、誰でもとても素直(すなお)な気持ちになれた。これほど美しい国に住む人々は皆、豊かで幸せそうに見えるだろう。

しかし、残念なことに、この国には人々にとって、一番大切なものが欠けていた。それは「平和」だった。四十年以上前から、軍隊、武装グループ、ジャングルに住むゲリラ(10)、麻薬ギャングなどのグループが入り乱れて争いをくり返していた。たくさんの人々が殺されたり、誘拐されたり、家や土地をうばわれたりした。目の前で父や母を殺された子供もたくさんいた。

「これではいけない。暴力をなくすために政治を変えよう」

そう言って選挙に立候補した人の多くは殺されてしまった。ガルシア牧場の南には、広大なジャングルがあり、そこでは麻薬ギャングがコカインという麻薬を作っているとうわさされていた。しかし、ジャングルまでは数百キロも離れているので、ガルシア牧場に危険がせまっているとは誰も想像しなかった。