はじめに

私自身、いまとなっては「本好きだ」と(けっして大きな声でないとしても)言えますが、社会人になるまで嫌いだった読書体験を思い返すと、「本当に好きなのか、無理してないか」と感じてしまう部分が、正直言うとあります。

それどころか、できれば、いまからでも放棄したいという気持ちが、心の奥底にほんの少しだけあります。読まないで済むなら読まないに越したことはないと――だって、ネット動画の方が明らかに面白いので。

ただまあ前向きに捉えるなら、スポーツや芸術、研究や教育など、あらゆる分野に共通して言えることですが、読書においても徐々に"読み"を深めていくことで、その人なりの楽しさが生まれてくるのではないかと思います。

それをいきなり「知恵を付けるために本を読め」と言われても、なかなか動けないのは当然です。

読書以外に打ち込んでいる活動が存在し、新しい境地に到達できる可能性のある何かがあるなら、何も書物から学びを得る必要はありません。

はっきり言ってしまいますが、私の経験では、多くを読んでも、自分の価値観の一部が書き換えられたという本は、それほど多くありません(というか、ほとんどありません)。

だから何度も何度も考えます。「なんで自分は本を読むのか?」、「読まなければならないのか?」と。

さらに付け加えるなら、「皆さんも無理して読もうとしていないか?」と。

現時点でのとりあえずの応(こた)えは、"本好きであると思い込んでいる己の自尊心"に他ならないと考えています。

そして、若干ネガティブな物言いになってしまいますが、"読書から学びを得るしか、自分には能がないのかもしれない"ということです。

「本好きを自称しているのだから、こんなことくらいは知っておかなければ」

とか、

「読書経験を積んでいるからこそ、これくらいの分別はできて当たり前だ」

とか、もっと言うなら

「何の取り柄も、誇れる点もない人間なのだから、せめて読書くらいは心がけないと」

という、言ってみれば見栄と妥協です。思い込みです。