入塾二年目頃から将来政界の分野で実務に就くことや、官僚の末端になりと名を連ねて日本の政治と経済に関わる法案の制定に少しなりと貢献できるような仕事をしたいということに、来栖はそれほど熱意を持てなくなってきていた。
後者の仕事についてはやりがいがあるということは確かで、政経塾に入る前には国家公務員試験一種に合格してキャリア組の行政職への道を歩みたいと強く望んだ時期もあった。しかし入塾後は既に三〇代の年齢になってしまっており、年が行き過ぎているということで、この道を志すことも断念せざるを得ないという事情もあった。
要するに、意欲の面に外的事情も重なり、政経塾での本来の修業には次第に意欲を持てなくなっていったということである。そこで将来の身の立て方として、ジャーナリズムの分野に転向し、政治と社会の問題に取り組むといった処し方のほうが自分には向いているのではないかと思い始めた。
本来の意欲が減じるのと並行して、来栖は塾が提供してくれる教育プログラムやプロジェクトに次第に飽き足りなくなってきていた。政治、経済、そして社会の問題につき政経塾は豊富な基礎資料を提供してくれ、現実の政治問題を実地に研究調査できる機会も設けてくれる。
ところが応用知識を増やし実践的側面から練磨できる場を提供するということでは、塾の修業内容には意外に乏しいところがある。逆に塾のほうからいわせれば、彼のような塾生の場合、塾の教育方針から逸脱するような目標を将来に向けて立てようとする者を抱え込んでしまったということになる。
実際に彼はこの頃から受け入れ先の塾から次第に足が遠のくようになっていった。それまでは半日勤務の区役所嘱託職員へ支給される給与に加え、解党前の民主党の議員の私設秘書二人から時折アルバイトの仕事を貰って生活していたのだが、このアルバイトに費やされる時間が次第に有益なものとは思えなくなり、これもやめてしまった。
この仕事などは政治の実務に就くという大志を抱いたままであったならば、実践能力の向上に必ずや役だったかもしれない。そのような意欲が既に減退した時期でもあり、彼は毎日の余った時間を図書館通いに振り向け、政治・経済分野を中心として知識と情報を蓄え、文章の表現力増強に邁進することにした。
午前中は役所の仕事を果たし、午後には塾での活動もほとんどやめてしまい、勝手にアクチュアルな問題を含んでいると思える社会現象を適宜選び出し、そのテーマにつきパソコンを叩いて評論執筆の練習に身を入れてしまう時期も出てきた。
時々は雑誌で主宰される懸賞論文募集に応募するようにもなった。入賞を目指せば文章力を鍛えることもでき、現金収入にもつながり、実力を公に認められることにもなると判断したわけだ。
自分で書いたものを切り売りするような仕事でもよし、要するにフリーランサーというような生業で生きていける方途を見つけようと考えた。そのような仕事で何とか生活できるぐらいの収入が得られないものかと漠然と考え、政治の世界に打って出るといった初期の目標は既に念頭から完全に消え去っていた。