「一.離脱」は、高齢になると、現役時代のように気の進まない仕事をしたり、嫌な人と付き合ったりしなくてよくなるからだという説です。否定的な感情を持つ機会が減少するから幸福度が上がるというシンプルな考え方です。
雇用延長などで働き続けている方で言えば、専門職となって得意なことに専念できるようになれば、役職者として嫌なことや面倒なこと、苦手なことにでも取り組まねばならなかった頃と比べて、働いていて幸せを感じやすくなるでしょう。
ずっと押さえつけられていたご主人が亡くなったら、奥様が活き活きとし始めたという話、自宅での介護から解放された方の「ほっとした」とおっしゃるのも、一種の「離脱」による幸福感と言えます。
「二.活動」は、新たな環境で、自分が望む新しい役割を見出せるからという説です。
「一.離脱」に似ているように感じますが、「離脱」は嫌なことから解放される幸福感であるのに対して、「活動」はやりたいことを始めたから幸福感が増すということです。
現役時代にやりたかった活動をようやく始められる幸福感。新しい趣味に取り組む、ボランティア活動でこれまでとは異なる新しい役割を見出す、家事や料理にハマって「主夫」になる、といった人たちが得る幸福感です。この点は、仕事人間だった人が多い日本男性が苦手とするところのように思われます。
「三.継続」は、それまでの仕事なり経験を社会のために継続して提供し、それを社会も受け入れるから幸福感が上がっていくという説です。変わらぬ役割が、いつまでも社会の役に立っている喜びといったところでしょうか。「生涯現役」で頑張り、周囲も社会もその「いぶし銀」の腕や「年の功」を重宝する。そんな関係が前提となっています。
年中行事や冠婚葬祭、村の決めごとなどでは、お年寄りの意見や手助けがないと進まない。農業や職人の世界では、長年にわたって携わっている人には若者が及ばない知恵がある。家事や子育てではおばあちゃんのすること、言うことはナルホドと思える。こういう時代には「継続」による幸福感があったのだろうと思います。
しかし現代では、専門業者や専門家に頼めばこと足りてしまって、高齢者が活躍する場が減ってしまいました。また、日本では世界的には珍しい(国によっては法律で禁じられている)定年退職制度が堂々と存在しているので、働き続けたくても年齢を理由に辞めさせられてしまいますから、この「継続」によって幸福感を得るのは難しい現状だと言えるでしょう。