人生論

これまでの人生を振り返って、改めて挑戦と挫折の繰り返しの人生だと感じた。何かに挑戦するためには、まず学をつけなければならないが、私は、幼少期から机に向かって勉強することがとても嫌いだった。

学生時代に学んだことは、お金が欲しいという欲求に対してどうやってその対価を得るのか、先輩や先生から教示いただいた礼儀作法、長期休暇を利用した仕事の厳しさといった実践的なものが多かった。

机上の勉強が実際に何に役立つのか、分からなかったのである。机上の勉強の目的をしっかりと自分の中で理解し、自分の意思で、その目的に向かうための行動ができていたならば、今とは違った人生を送っていたのかもしれない。目的と聞くと大層なもののように感じると思うが、どのようなことでも目的を持って行動することは重要である。

例えば、社労士の資格取得を目指したときは、資格取得することによって生活の糧とするという目的があった。そして、「自分の力を試したい」という目的をもって、開業することを決めた。

また、議員選に出馬した時は、議員になることが目的ではなく、議員になって何をするかが目的だった。同様に、町長選に出馬し落選したが、町長になりたかったのではなく、絶対的権限と義務を持つ首長になって成し遂げたい目的があった。何かを成し遂げる人は誰しも「目的」という柱を持っている。

しかし、例外もあり、目的が無く、開業する社労士や議員、首長もいる。しかし、その柱の無い人は長く継続することはできない。何故なら、柱の無い人は常にブレが発生するからである。例えば、政策のブレ、決断のブレ、自身の生活のブレ、判断のブレなどである。

果たしてそのような社労士に、経営者は会社の重要な雇用政策の部分を相談し、委託するだろうか。それはまず有り得ない。仮に委託したならば、その組織自体が衰退していくのは目に見えている。どのような事もどのような行動を起こすときにも目的を確認し、見失わないようにすることが大切である。

柱がない人は信頼せず、託さないことが一番である。