不合格通知
十一月になった。そわそわ、試験の合否が気にかかる。試験結果のはがきが届いた。妻から、はがきが届いたことを聞いて落胆した。合格者には封書が届き、中には厚生労働大臣名の合格証書が入っていることを知っていたので、はがきの内容を見る気にならなかった。夕方になって妻から、
「なぜ、はがきを見ないの、合格していなかったら、それが怖いの」
しぶしぶ、はがきを見た。はがきは、労働法ごとの点数が記載されており、その総合点が記載されていた。残念。総合点は合格ラインをオーバーしているのに、厚生年金保険法の点数が、足切りの点数に足りなかった。悔しさがこみ上げてきた。私は、悔しさを噛みしめてさらりと、
「駄目だった」
「残念ね。まだ、受けるの。体に悪いわよ。止めたら」
心配そうに、本当に止めないと体に悪いから無理にもやめさせるつもりだ。
「先生の言うことを聞いてね」
「残念すぎて、やめるわけにはいかないよ。総合点では受かっている」
「そんな強がり言って」
「嘘じゃないよ。これを見てごらん」
はがきを見せるが、妻は点数に興味なく
「でも、今が体には大切な時期よ。年齢も考えないと」
「大切な時期だから、頑張るしかない」
「頑張って、もしものことがあったら如何するの。やめてよ。体が第一よ」
そんな妻との話が終わり、二階で机を前に座ると、受験の日までの夜遅くまで歯を食いしばり頑張ってきた日々を思い出し、「厚生年金保険法だけが足切り」になってしまったことを悔しがった。「あとちょっと」と思うと余計に悔しさが募ってくる。
「あとちょっと」と思う気持ちが、自然に、「悔しさ」に変わり来年の受験への原動力となり、再トライする気持ちに火をつけた。なぜ、受験後に学習を続けなかったのか、学習をさぼっていた自分を反省し、その日から猛勉強を開始した。
定年
こんな猛特訓中に、六十歳の定年を迎えた。あちこちで「定年祝い」の誘いがあった。ゴルフ仲間、飲み仲間も減り「昼の会食」ということで了解してもらった。でも、仲間は、昼からでも遠慮なく飲む。私は、ウーロン茶。定年になっても、特に込み上げてくる感動もない。何度も転勤を繰り返しそのたびに盛大な歓送迎会を受けたからだろうか。
花束をもらい、祝辞を聞き私の答礼の挨拶になった。私のみんなに嫌われる欠点は、話が長いことだ。自分で理解していても話し出すと止まらない。自分の話に自分が酔ってしまい、取り留めのない話をしてしまう。だから、定年の時ぐらいは、と決めていた。