脳梗塞で倒れる
人間、「生」と「死」は背中合わせ、いつ死んでもおかしくない。
私が、死の淵に遭遇したそんな日は、早春の雲一つない良く晴れた日曜日であった。私の日曜日の朝は、散歩から始まる。今日は、朝から気持ちが良い。天気の良い為か歩も進む。
自宅から七、八分下ると川があり、この川沿いを歩くのが、私の一時間程度の散歩コースである。川に至るまでに、目を楽しませてくれる花屋兼造園会社、少し行くと三重塔が聳えるお寺、そこには長寿を祈願する一メートル程度の石作りである延命菩薩像が道端に祀られている。
そこでは必ず手を合わせて長寿の祈願をするのが習慣である。川に着くと橋があり、渡れば東京である。私は、川を渡り東京側の川沿いのコースを歩く、透き通る様な川の「せせらぎ」を聞きながら注意深く水面を見て歩く。
「ピー」と甲高い鳴き声で水面近くを飛ぶ鳥を見る。カワセミである。背が青くお腹は綺麗な茶色っぽい美しい色をした鳥である。二日に一度は出くわす。
川面の枝に留まったと思うと暫くして、不意に獲物目指して水の中に口ばしから飛び込み、見事に小魚を咥えて飛び出てくる。あっと言う間の早業である。
二、三月ごろになると冬眠していたカメが土をべったりつけて、川の真ん中の丸石の上で甲羅干しをしている光景を目にする。運が良ければ、カモが「ひな」を連れての行軍、よちよち泳ぎの「ひな」の姿は何ともいえない微笑ましい光景であり、親の後ろを一列について泳ぐ姿を目にする。
今日は、運の良い日で気持ちも晴々である。十分ほど歩き一つ目の橋に着くと、
「おはようございます」
常連の散歩者だ。いつも元気に声をかけてくれる。名前も年齢も知らないが、私より年長であることだけは確かだ。私より頭が白いことだけが理由だ。
橋の袂にベンチがあり、ここはカワセミ・ウオッチングの穴場なのだ。毎回、数人が休んでいてカワセミが飛んでくるのを待っており、何人かは高価なカメラを首にぶら下げている。カメラ談義に花が咲いている。
「やっぱり105ミリでは短いね」
「俺は、超望遠レンズのズームだ。これは良いよ」
カメラも今では、進化していて、望遠レンズもデジタルカメラ以前は、超望遠レンズとなれば四、五十センチはあったが、今では簡単に手持ちでファインダーを見ることができる。
遠方の鳥が、ファインダーいっぱいに見える。カメラの知識が無くても誰でも綺麗な写真を撮ることができ、絞りもシャッタースピードも関係がない。
フィルム写真の頃は綺麗に撮ることがプロだった。今では、誰でも綺麗に撮れて、加工までできる。現在は、誰でも写真家になれるが、生計を立てることは難しい。