父親失格

「陽菜にあんなこと言われるとは、さすがに堪えたよ」

陽菜が寝静まった夜、傷心のわたしは多恵と晩酌していた。机には空になった缶ビールとウイスキーボトル、それから夕飯の残りが散らかっている。多恵は梅酒を舐めながら陽菜が眠る部屋に視線を向ける。その部屋はかつて母さんが使用していた場所だ。

「陽菜、おばあちゃんが亡くなって以来、情緒不安定だと思う。あの子は普段、あんな聞き分けのない子じゃないもの」

「そうなのか。どこでわたしは、娘とのボタンを掛け違ってしまったんだろうな」

どうすれば良い父親になれるか、だれかに教えて欲しかった。愛娘に不合格の烙印を押されるようでは歯がゆいばかりだ。

「そりゃあさ、陽奈の面倒を四六時中見てくれた母さんには敵わないよ。だけどこれでも努力しているんだ」

「私はちゃんと理解しているつもりよ。あなたは間違いなく変わった。だけど陽菜はまだまだ甘えたいのよ」

「もっとなのか。弱ったな」

多恵は不甲斐ないわたしを責めることはせず、首を振り続ける扇風機の送風を弱めた。

「ずいぶんと気落ちしているのね」

「自分の不器用さが恨めしいんだ。もう医師なんか辞めて、いっそのこと専業主夫になるか」

「それは絶対にやめて。あなたはお医者さんとしては素晴らしいけど、主夫の素質はないわ」

「厳しいな」

「別に悲しむことはないわ、人には向き不向きがあるもの。私はあなたのように、ひとつのことを徹底的に突き詰める才能はない。だけど床を磨きながら献立を考えたり、洗濯機を回しているあいだに買い物に出かけたりするのは得意なのよ」

これにはぐうの音も出なかった。多恵の同時並行能力には驚かされる。家事を完璧にこなす一方で、近所付き合いや自治会役員としての活動にも余念がなく、現在進行中のウッドデッキ改修だって一手に担ってくれている。わたしには逆立ちしてもできそうもない。

「忙しいあなたに、普通のお父さんとおなじものを求めるのは酷だわ。だからね、毎日じゃなくてもいいの。普通のお父さんの何倍もの愛情を注ぐ、特別な時間を作ってあげて。寂しい想いをさせてしまう代わりにね」

陽奈はやはり、寂しいのか。わたしはグラスの氷を回しながら、先月の誕生日のことを思い出していた。

「誕生日に欲しいものはなんだい」と尋ねたら、ぽつりと「きょうだい」と伏し目がちで呟いて部屋を出ていった。

なかなか第二子を授からない焦りもあり、わたしはすっかり面食らって立ち尽くした。これは多恵にも伝えていない、わたしだけの秘密。

「なんとか八月下旬に休みをもらえるよう、調整するよ」

「頑張ってね。家族旅行を楽しみにしているのは、なにも陽菜だけじゃないんだから」

多恵は新しい枝豆をむきながら自分の要望も添えた。たしかに言う通りだ。わたしは世話になりっぱなしの良妻に日頃の感謝を口にした。

「いつもありがとうな」

「ううん、お互いさまだから」

共同戦線を張るわたしたちはグラスを掲げると、互いの奮闘を讃えて控えめな乾杯を交わした。物心ついたときから父親不在のわたしは、娘との接し方がよく分からず、いつも戸惑っていることは白状しなければならない。自分が父親役をこなさなければならなくなった現在でも、手探りは続いている。

公園で知り合う父親たちが立派に見え、自分はまったく駄目だという劣等感に苛まれることもしばしば。だからこそ、わたしは必死になることにした。なんたっていちどきりの人生。後悔だけは、もう、したくない。