フォンテーヌブローの森
五月最後の金曜日、カミーユはクロードと、フォンテーヌブローへ向かう汽車の中にいた。
今朝、母が用意してくれた昼食をクロードと分け合って食べながら、後ろめたさが募った。娘たちだけでの旅行に父が反対するのを、結局説得してくれたのは母だった。
「いつも仕事で忙しいカミーユが自分のお金で旅行に行くんですから」と。今朝、笑顔で送り出してくれた母の顔を思い出すのがつらかった。
噓をついてきたとは言えなかったが、クロードも両親のことは尋ねなかった。
この人に付いていって大丈夫? 微かな不安が生まれたけれど、そんなものはすぐ若い恋心が心の奥底に追いやってしまった。
フォンテーヌブロー近郊、バルビゾンに隣接するシャイイへは、すぐそばまで鉄道で行くことができる。
一八二五年、世界に先駆けイギリスで誕生した蒸気機関車は、クロードが生まれる三年前の一八三七年にはパリからサン=ジェルマン=アン=レーまで開通。クロードが一歳のころにはルーアンまで、そして六歳のときに、彼の住むル・アーヴルまで伸長した。一八五二年にはパリ─ リヨン間も開通し、鉄道網は南仏へも延びて行った。
二人は今、その路線に乗っている。
この鉄道網の発達も“外光派”と呼ばれるクロードらの芸術をあと押しした。それまでのように、高い料金を払って馬車を雇う必要がなくなったからだ。
フォンテーヌブローの森は、ルイ六世からナポレオン三世まで、七百年にわたって王族が狩猟地としてきた土地柄で、その広大な自然はその後もずっと守られている。
十六世紀には、フランソワ一世が呼び寄せたイタリア・ルネサンスの画家たちが活動し、フランス絵画にルネサンスの影響をもたらした。
印象派に影響を与えたコローやミレー、ドービニーらバルビゾン派の画家たちが滞在し、好んで描いてきた森でもある。
産業革命を経験し自然破壊が進む都市に住むブルジョワジーたちにとって、バルビゾン派が描く田園風景は郷愁を掻き立てられる好ましい題材になっていた。
経済成長とバルビゾン派の活躍のおかげで、それまでサロンでは評価の低かった風景画が注目を浴びるようになったこともまた、クロードたち印象派登場の素地になった。
ラ・ロシェット駅に着くと、そこからは乗合馬車に乗った。馬車に二人並んで座ると、「いよいよ二人きり」という幸福感が、「こんなところまで来てしまった」という罪悪感に勝った。
宿の主人はパヤールという気のいい男で、クロードとは顔見知りのようだった。
一泊二フランというのが魅力で、クロードと仲間たちはここを定宿にしているらしい。パヤールはカミーユが一緒だとわかると大げさに額を叩いた。
「おやまぁ、今回はいつもの四人組じゃないんですかい? これはなかなか、隅に置けませんなぁ」
「なに、フレッドならすぐ追いかけて来るよ」
部屋に荷物を置くとクロードはすぐ、
「森へ行こう」
と言った。一刻も早く描く場所を決めたいのだ。カミーユはかなりくたびれていたけれど、クロードの逸る気持ちもよくわかったので、一緒に出掛けることにした。