発心

天平二十(七四八)年二月、まだ春も浅いある晴れた昼どきである。

平城京の東端に位置する東大寺の僧房の前には、まだ童顔の面影が残っている一人の若い僧が佇んでいた。

黒衣に身を包んだその若い僧は、東大寺に止住している伯父を訪ねての訪問であった。

僧房の奥手には、山の尾根を削ってなだらかになった広大な平地が広がり、その周囲には(むしろ)作りの天幕が張り巡らされていた。

中の様子は窺い知れないが、聖武天皇の発願による()()(しゃ)()(だい)(ぶつ)金銅像の建立作業が行われていることだけは確かだった。

その証拠に、天幕の上方には、像の心柱となる体骨柱の先端が顔を覗かせていた。

暫くすると、僧房から恰幅(かっぷく)のよい一人の僧が現れた。

「伯父上、お久しぶりにございます」

若い僧は胸の前で慇懃に合掌し低頭した。

「おう、竹依(たけより)か。久しぶりじゃのう。最後にそなたと会ったのはもう十年前になろうか」

年配の僧は、黒衣を纏った竹依をまじまじと見ながら言った。

「大きくなったのう。してその僧形はどうしたことじゃ」

竹依と呼ばれた若い僧は、永らく無沙汰をしていることを詫びながら言った。

「私は、この度、行基(ぎょうき)法師さまのご恩情によって、念願の出家得度が叶い、『(げん)(ぴん)』という法名をいただいたところでございます」

「何と! 行基大僧正さまより法名をいただいたと?」

伯父上と呼ばれた僧は、竹依が発した言葉にわが耳を疑った。

(何と、人々から行基菩薩と崇められている高僧の弟子がわが一族から誕生したとは!)

行基法師は、若い頃より全国を行脚しながら要所に寺院を建立して、流浪する民を救済し、また道路整備や架橋工事などの社会事業を展開して、人々からは『行基菩薩』と崇められていた。そして今は天皇の発願による毘盧遮那大仏の建造にも信者を動員して貢献していた。

これらの功績が聖武天皇に認められ、三年前に行基は、わが国最初の『大僧正』位が贈られていたのである。

「竹依、いや玄賓、今の話は誠か。偽りではないのだな」

「はい、誠にござります」

「でかした。まこともってめでたい。吾も鼻が高いぞ」

伯父とよばれた僧は、玄賓の話が事実と知って、嬉しさのあまり感極まって目には涙が浮かんでいた。