Ⅰ
百合の寿命に関する予知判断はさることながら、摩訶不思議とかいぶかしさを感じ取るだけでなく、さらに不気味さといった思いが嵩じてくると、彼女に対して新たに不愉快な思いを募らせるようになった。
この気持ちは特に百合が死の間際にまで来栖自身の身の振り方につき家族によしなに頼みますと頼んでいるところから出てきたもので、率直に言って有難迷惑そのものではないかと受けとめた。
死期を悟った女がこのような頼みをするということは見当違いの深情けといったものだろう。この思いはさらに自身の感受性の中身にまではね返り、百合という人間の死を契機として、本来ならば憐みや悼みのような気持ちを持つのがまっとうな人間の持つべき感情だと頭ではわかっているのだが、しばし心が動揺したあとでは百合の生と死を冷たく受けとめてしまっている。
そしてこのかたくなな心が、自分の心底のありようをむしろ的確に表しているように思えるからなおさら自分に嫌気がさす。結局のところ来栖は自虐の快楽といったものを自己の性向から感じ取ることにもなった。
二宮家の人たちとは疎遠になる一方だったが、来栖は百合と出会う夢を一度だけ見たことがある。現実には彼女はもうこの世にいないわけだし、彼女と彼女の家族のことについては常日頃思い起こすことなどなかったのだが、夢の中では彼女と話を交えていた。
夢の中の来栖は現実感覚をはっきり把握していない様子で、彼女はもうあの世の者であるから、来世で彼女の質問に順次答えていくといった形で会話が進んでいくようでもあり、生前の彼女とこの世で出会って会話を交えているようでもある。現実の世界にいるとの想定に基づく夢の中では、二人のいるところについては時間的にも空間的にも全く確証が持てないというのが実感だった。
それでもどちらかというと、二人共に現実の世界に生きていて、その中の夢で互いに語らっているようだ。来栖の知覚では、これが一番受け入れやすいものだった。