会話とはいうものの、彼には百合が話しかけてきているということはよくわかるのだが、彼女の肉声が本当に聞こえてそれに応答しているというよりも、両者の音声は一切なくて、二人とも音声を発していないのに、それでも相手の語ることが理解できているといった感じで話し合っている。
来栖の知覚では百合自身も彼の話していることを音声言語としてとらえているのではなく、無声なのに百合が彼の言葉を口唇の形で読みとったのか、あるいは彼の表情や物腰といった手掛かりで相手の言うことを理解しながら会話をしているといった印象を彼に与えていた。
百合の質問というべきかどうかはっきりしないが、彼への示唆、もしくは促しといったほうが正確かもしれない内容も聞き取れる。彼女の発言内容は、本来ならば煩わしいとして切り捨てたいと思える類のものだったが、会話では神妙に百合の言っていることに耳を傾けている。
テーマは主として音楽を巡っての話で、来栖は彼女の言っていることにうなずき、心から彼女の言うことを素直に聞いているようなのだ。
たとえば、百合のほうが当然のことのように夢の中では愛し合っている者同士と二人の関係を受けとめているのだが、そこでは彼のほうも彼女の世界の中へほとんど組み入れられてしまっている。素直に恋人同士のような会話を彼女と交えている。そしてまたそのような自分を愚かしくも滑稽な姿ととらえている自分もいる。そしてそのような二重写しの自分の姿について、来栖は的確で客観的な判断力を持っているからこそ、そう理解できていると思い込んでいるようだ。