三
「本当は、桜が丘高校になんて行きたくない」
本音を一人で漏らして、泣いた。
しかし、現実に、桜が丘高校に通うしか道はなかった。亜紀は妥協し、桜が丘高校の入学前に出された春休みの宿題を解いた。登校日、宿題を提出したが、桜が丘高校のイメージは、亜紀にとって悪かった。
そういう状況で迎えた富山県立桜が丘高校の入学式の日、亜紀は、不安だった。友達ができるかどうか、心配だった。
環境が中学とがらりと変わり、授業が始まると、隣の席の男の子がしきりにいたずらをしてくるのが、気になった。
「田中、十円やるから、ノート、書き取ってくれ」
「本当に、十円くれるのなら、書いてもいいよ」
「やる、やる、後で」
「うーん、書いてみるか、ノート、貸して」
亜紀は、自分のノートを書き終えると、山下真一のノートを受け取り、黒板を見ながら筆先を見ないで、シャープペンシルを走らせた。二人分のノートを書き取って、また、授業を聞く態勢に戻った。休み時間に、亜紀は、真一にせびった。
「ノート、書き写してあげたのだから、十円、ちょうだい」
真一は、にやにや笑ってごまかした。
「今度な!」
亜紀は憤慨して怒鳴った。
「今度って、いつよ」
「まぁ、いいやん」
真一は、ごまかして、友達の中に消えて行った。
こんなことは、一回では済まなかった。真一は、何度も亜紀に同じことを繰り返しやらせた。周囲の友人は見抜いていた。
「山下君、亜紀のこと、好きなんじゃない?」
この時点で、そんな噂が、女子生徒の間で広まっていた。真一のおかげで、亜紀は学校に順応できた。
「こんなこともあるもんなんだなぁ」
人生、何が起こるか分からない、ということを悟った。
大学進学で富山県内トップ級の高校の受験を諦め、ワンランク下の高校に入学してからというもの、亜紀はかなり落ち込んでいた。性格は、決して暗い方ではなかった。
八百屋を威勢よく経営する祖母の元で育ったので、感情豊かな性質だった。その性格を、この高校で復活させてくれたのが、真一だった。
「十円じゃぁ、足りないな」
冗談調で言いながら、真一のわんぱくさに感謝した。
それからというもの、亜紀は、率先して、真一のノートを書き取るようになった。
「十円、要らんのか」
「要らない」
二人の間に、いつの間にか、信頼関係が築かれていた。
そのくせに、亜紀に嫉妬するのだった。