口を開いた緘黙少年
以来、Y君が主治医の質問に答えようと母親に耳打ちするたびに、すかさず私も右手を耳にかざし椅子を滑らせる仕草をおもしろおかしく繰り返した。
このおどけたやりとりがきっかけとなり、まじめモードがお笑いモードに変貌した。
それから一年たったある日、こちらの質問にうなずきや母親に耳打ちする形で応じていたY君が、思わず言葉を発するハプニングが起きた。
その日、診察室で母親が、Y君が今、パラパラ漫画の動画作りにはまっている旨を話していたところ、Y君がいきなり不機嫌そうに
「はまってない!」
と強い口調で言葉を発したのだ。意図せぬうっかり発言をきっかけに言葉が少しずつ出るようになった。
受診のたびに会話は増え、返事までの応答時間も早まっていった。こんなやりとりもできるようになった。
「デイケア(放課後児童デイケア)行っている?」
「行っている」
「そこでは何している?」
「宿題している」
「デイケアではピンポンもやっているの?」
「ピンポンって知らない……」(今の子にはピンポンのことを卓球と言わないと通じなかった。)
別の日に、
「鉄腕アトムって知っている?」
「知らないが教科書にあった。足から火を出している」
面白がるテレビ番組を母親に聞くと、チャップリンのパントマイムをあげた。なるほどとうなずけた。応答が進むうちに自己洞察を深める母子の会話も増えていった。
あるとき、母親に
「こうなったのは、埼玉にいたせい?」
と聞いたという。自分のふがいなさの原因を幼少期を県外で過ごした転勤生活のせいではないかと思っているらしかった。
小学五年生になると、学校担任との相性がよいこともあって小声ながら言葉を交わせるようになった。言葉は交わせないもののクラスメイトとオセロをやれるようにもなった。
小学六年になると、母親と距離がおけるようになり、診察室に一人で入り、話せるようになった。
「家では一人でいても苦にならない」「外出したいとは思わない」「人混みは苦手で落ち着かなくなる」「家ではユーチューブ見ることとマインクラフト(ブロックを用いて建造物を作りあげるゲームの一種)が好き」とも言った。
その日の診察の最後に私はY君にこうつけ加えた。
「ここの病院には君のように人前ではうまくしゃべれない子がたくさん来ている。その中で君は一番先頭を走るトップランナーだ。多くの後輩にとって君は希望の星なのだ……」
Y君は嬉しげにうつむいた。
小学六年の秋、修学旅行に参加できた。和室の部屋に五人で寝たが、いびきのひどい子がいて全員ほとんど眠れなかったのに、当のいびき名人から
「何で眠れなかったの?」
と不思議がられた話を母親におもしろおかしく語ったという。
その際、母親は本人から驚くべき事実を聞いた。Y君はクラスメイトの顔や表情が読めないのだという。髪型、背丈、声の調子、服装などで判別しているとのことだった。修学旅行の写真だけを見ても友人の顔を特定できないという。