孟母三遷 私 おけいこジプシー狂想曲
母親はいつの時代も大変だ。子どもを授かった時、喜びと同時に大きな責任を感じる。
「この子を一人前に育てなくては」「厳しい社会の中でも一人で生きていけるように教育していかなくては」
新米ママにとってそれはすごい重圧である。世のお母さん達と一緒で、私もひしひしとそう感じた。かなり肩に力が入っていた。そこから始まった私の子育て紆余曲折。かなりピントがずれた脱線だらけの「教育ママゴン生活」。
子ども達にさせた習い事を書き連ねると長くなる。スイミング、ピアノ、バレエ、そろばん、習字、サッカー、Tボール、体操、空手、少年野球、ガールスカウト、通信教育5社、英語塾、学習塾5社、家庭教師。
英語塾は月謝が高いから、長女が中1の時に自分でやり始めた。長く続いたものもあれば、「見込みなし」と早々に止めさせたものもある。子どもを振り回す駄目な親の典型だった。
節操なく自分の考えで、あちこちの教室を連れまわし、彼らの意思確認もそこそこに習い始めさせ、これまた彼らの意向も大して聞かずに止めさせる。まったくひどい親である。
とにかく必死だった。その時は私なりに考え、善かれと思ってやっていた習い事ジプシー生活。
「子供の隠れた才能、可能性を見つけて伸ばすのが母の務め」「何事もやらせてみなくては分からない」「もしかしたら今度こそ本人に合っていて夢中になるかもしれない」「自信がついて他のことにもいい影響が出るかもしれない」「そんな機会を逃すのは、母親失格というものではなかろうか?」
そんな答えのすぐには出ない迷い、堂々巡りをいつもしていた。
お稽古問題は厄介だ。お金と労力と忍耐と送迎、たくさんの親のサポートなくしては成り立たない。「ドブに捨てた」なんて言わないために、親子でよく話しあった方がいい。
子育ては「割の悪い投資」とも言うがその通り。損得勘定ではとてもできない。今振り返るとあの「お稽古ドタバタ劇」にも意味があったと思う。その道の達人にならなくても、多少の経験が後に役立つことだってある。
娘は最近バレエを習い始めた。自分のお給料の中からお月謝を払えるようになったなんて大人になったものだ。小学生の時3年ほどしか通えなかったバレエをもう一度やろうと思った経緯はわからないが、ゼロから始めるよりは楽かもしれない。
その程度でもいい。興味を持つきっかけになっただけでも嬉しい。