夫は子煩悩だった。毎日忙しくしていたが、子供たちが学校に上がってからは、一年のうちで、学校の夏休みは、子供と付き合うことを決めていたようだ。特に毎年八月は仕事を止めて、子供達のために予定を立てていた。キャンプやハイキング、漫画映画、遊園地、海やプールなど。早い時期から新聞などで情報をチェックしていた。
キャンプにはJRを乗り継ぎ、毎年琵琶湖の西側の比良山へ登った。小さいときは、三人の子供たちには身にあったリュックサックを手作りして、それぞれ自分の下着や荷物を持たせた。少し大きくなってからは、既製品の大きめのリュックに自分のもの以外の食料品などの荷物も負担させた。フラフラしながらも頑張って担いでいた姿を思い出す。
比良山の山上へは、ゴンドラに乗って上がるのだが、頂上で、ゴンドラを降りると一面にオレンジ色のニッコウキスゲが咲いていて、真夏だというのに涼しくて、何日でも滞在したくなるような気持ちのいい場所だった。夫は子供たちと遊ぶことに徹していた。多分子供たちの心には、今でも幼い頃の楽しい思い出として残っていることだろう。
八月の最後の夜には、必ず皆で外に食事に行った。これも夫の提案だった。
「夏休みは今日で終わり。明日からは、また学校が始まるが、一生懸命勉強しなさい」
子供達にそう言って、夏休みと新学期とのけじめをつけさせていた。自分自身もまた、来年の七月まで、子供達のために頑張ろうと気持ちを切り替えていたのだと思う。
子育てにも慣れた三十代の終わり頃、それまでの自分を振り返ってみて、高校を卒業したまま何の向上もなく、年を重ねていることを何とも不甲斐ないと思っていた。もし就職する必要が生じたら何ができるだろう。三人の子供を自分が支えなければならないことが起こったら、何ができる。就職するとしたら何が武器になるかを考えた。
そこで思いついたのは英語の会話能力だった。近頃では英語を話せる日本人は増えたが、当時は大学を卒業しても、話せる人は数少なかった。就職試験で、自分が人と対等なスタートラインに着くためには、英会話の能力は役にたつのではないだろうか。そう考えて、かつて少し得手だった英語を、学校に入って、学び直そうと決めた。
思い立つと一直線の性格で、そのまま銀行へ行き授業料を引き出し、英会話の学校の入学手続きをしてしまった。自分にとって、必要な時がきたら、自分の翼で飛べるようになりたいと、切実に願ったのだ。