米山記念奨学事業
うちのクラブにIY君という米山大好き人間がいる。
彼は何度もカウンセラーを経験し、いまでは地区の米山委員を務めている。彼を囲む米山奨学生や学友会メンバーは、彼のことを親愛と信頼を込めて「オヤジ」と呼んでいる。
端から見ていても微笑ましい限りだ。こういったことを経験したロータリアンは間違いなく米山が好きになる。
機会があれば、またカウンセラーになりたいという希望者はたくさんいる。
最近聞いた一言がある。
「寄付はお金のある人がすることではなくて、心のある人がすることなのです」
名言だと思う。
「クラブ」と「ロータリアン」
ところで、ロータリークラブが掲げている「クラブ」(club)という言葉は、かの文豪ウイリアム・シェイクスピアによって造られたと言われている。
いまから四世紀ほど前、当時一八歳の文豪の卵は毎日の放蕩生活のなか、村の領主に命ぜられ、彼の子を身ごもった年上の女性と結婚させられる。
その後、彼はロンドンに逃亡して戯曲家として勇名を馳せることになるが、ところが有名になればなるほど周囲に人が群れてきて好きな酒もおちおち飲めないようになる。
たまりかねた文豪は、居酒屋の主人に断って奥の一室を借り、本当の友人だけを招いた集いの部屋を設けた。そこで宣言したのが、
「同好の諸君、明日もここに集まろう。古代エジプトのコプト語をヒントにして、われらの集いを『クラブ』と命名する」
であった。
こうして「気のおけない同好者の集い」を意味する言葉、「クラブ」が誕生した。
僕たちの組織「ロータリー」も「クラブ」と呼んでいる。ロータリーのスピリッツを共有する気のおけない仲間たちの集いだ。
因みに、「ロータリー」の名称は、集会(例会)を会員各自の事業所で順番に開いたことから名付けられたものだ。
ロータリークラブが出来て間もないころ、アメリカのとある新聞記者(※25)はロータリーの創始者ポール・ハリスに取材したのちに、次のような記事を書いている。