出会い─パリの片隅で
人間はじっと同じ姿勢を取り続けるだけでも疲労するということを嫌というほど実感した。それは驚きでもあった。「僕たちのモデルに」と言われたとき、多少なりともうれしかった。ムッシュー・モネが私を描こうというのだ。
お針子見習いも厳しい仕事だが、ほかに女の子が働くといえばカフェの女給か花売りくらい。洗濯女はいかにも大変そうだし、花を買ってもらうために客に媚びたり、客から心ない言葉を投げかけられながらコーヒーや酒を運び続けるのはつらい仕事だろうと思う。
それに比べたら、同じポーズでじっとしているモデルの仕事はとても簡単に思えた。でも、実際には休憩を含めて四時間ほどでこの疲労感。やはり、自分で稼ぐということは甘くはない。だが、今カミーユの心を占めているのは全身を覆う疲労感ではない。
今日、アトリエを出るとき、最後に見たムッシュー・モネの浮かない顔だった。人物デッサンを再開するに当たり、裸体から始めたかった。けれど、それができる可能性は今のところ限りなく低い。何とか、彼の希望を叶えてあげられないだろうか。心の中で、もう一人の自分がそう言うのだ。
でも、どうしてそんなことができる?裸を人目に晒すことが“普通”だとはどうしても思えない。裸体モデルだと明示すれば、さらにモデルは見つかりにくいだろうと二人は話していた。報酬額を引き上げるということも彼らの様子からすれば難しいようだ。
とすると、やはり裸体モデルが見つかる可能性はないのだろうか。もし、見つかったら? そこに思い至ってカミーユはハッとした。見つかったら、ムッシュー・モネはその人の裸を描くのだ。今日、カミーユを見詰めたように、刺すようなまなざしでその人の素肌を見詰め続けるのだ。嫌だ。それは絶対に嫌だと思った。