ところで、江戸も東京も当時の為政者がこんな地勢の難しい場所に首都を決めたのには、深い理由があったと思いきや、当事者の幕府も明治政府も極めて不本意な理由で統治の中心地を決めているのです。
秀吉は家康を未開の江戸に封じて家康の力を弱めさせる積もりであったそうですから、家康は不本意だった筈ですし、明治政府は当初は大阪を首都にしようと考えましたが、新政府は資金難で新規に政府庁舎を建てる余力が無く、大久保利通は空き家となっている江戸幕府の建物を利用しようと江戸遷都に方針を変えたと言われます。
ここでは、都心から見て東側にある伝統的な核市街地の日本橋、銀座、丸ノ内と、西側にある新興の核市街地の新宿、渋谷を取りあげますが、これら五つの核市街地の発展を観察すると、大きな流れとして明治以降の東京という都市が、その重心を東から西へ移動させたことが読み取れます。
東京都の庁舎が、東京駅脇から新宿西口へ移転したのはその重心の移動の追認でした。なお、東京の市街地にはこれらの五つの核市街地の他にも個性的で魅力のあるところは数多くあります。
JR山手線の駅を核として発展した上野、池袋があり、山手線の中心部で成長した赤坂、六本木があり、震災にも戦災にも遭わなかった谷中、根津、千駄木の町があり、隅田川の東側では墨田の錦糸町と深川の門前仲町もあります。
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