しかし、李は、伊藤の発言を遮るように、「確かに三〇億ウォンの累損はあるが、会社の資産は増加している」と言い、続けて、

「五億ウォン(一億五千万円)の貸付金は、当時、土地買収、工場建設資金として日本側と協議の上、提供を受けたもので、全額KDPに入金している。

具体的には土地買収の失敗や、私の持ち株が少なくなることを心配し日本側が負担したものであり、共立商事が借りたものではありません。したがって、この件について過去の事情を知らない佐藤さんとこれ以上議論するつもりはありません。

さて、資金繰りの件ですが、現在F銀行ソウル支店にDP保証の下に二億ウォンの追加資金借り入れをお願いしており、同店の要請で向こう三ヶ月間の資金計画を提出したが、十月二十五日現在返事をもらっていない。

八、九月は、夏休み、秋夕(チュソク)休暇と休日も多く、このところ月間売上高が二億ウォンも減少し、日本への送金も厳しい状況で、その上、十一月大宇危機説もあり、是非DPの保証をお願いしたい。

設備の件については、一九九八年の中間決算理事会で、KDPは、IMFショックもあり、既存の塗料や、洗浄剤などの化学薬剤のみでは、K化学や、I化成との競争が激化し、利益の出ない体質に陥っていることを報告した。

そこで、独自の技術を確立すべきとの前倉本社長のご意見に沿って、技術部の強化、塗料用原料の樹脂製造設備の検討を開始した。

一九九九年五月の理事会で、樹脂設備の件を提案し、ご検討をお願いした。しかし、当時日本側は、資金的に非常に厳しい状況にあり、KDPを支援するゆとりがないとのことだった。

KDPとしては、この事業を行うため、市中銀行に借り入れを申し込んだが、担保物件、高金利などで一旦は断念した。

丁度その頃、小渕首相訪韓の際、日本政府が、韓国のベンチャー企業向けに三〇億円の無償借款を供与した。このことを知って、中小企業銀行に必要資料を作成し、申し込むことにした。

なお、この資金を借り入れるためには、七月二十日以前に、審査に必要な資料を全部取り揃え信用保証協会の審査請求を受けパスしなければならなかった。

しかも融資された資金は、KDPに入金されず、七月二十日から、十一月二十日までに、全額銀行から直接工事業者に支払われる。そのため工事業者との契約が完了しなければ、銀行の融資額が決定しないという事情があった。

私は、資金借り入れの準備作業、設備の設計、仕様、契約など全部終えて日本へ報告に行った。

日本側のOKを取って仕事を進めなかったことについてお叱りを受け、この点については、お詫びしたいと思います。

人事問題に関して、今の状況、設備の立ち上げ、稼動状況の確認、販売達成の見届けなどから退くわけにはいかない。この事業が安定すれば、後任へのバトンタッチは、勿論OKです。

ともあれ、樹脂製造設備が順調に稼動すれば、累損は、早い時期に解消出来ると考えている。そして日本側に返金したい」と多少韓国訛りのある日本語で流暢に話した。

権は、李の妻で、李より二十七歳も年下だった。

権は、興奮をひたすら抑えながら、韓国語で

「創業以来営業努力をするも販売不振に陥り、金利負担が増大し、この負担をなくすため増資を行った。日本側は、会社が落ち着いたらいつでも株式を李社長に渡すとの約束であった。

率直に言って、私たちにとって株式の不均衡はいつも頭痛の種であり、持ち株比率を是正するため、当初の契約通りの比率にしたい。

設備の契約については、時間の制約や、借り入れ条件があり、予め日本側の了解を取って行うことが出来ず、申し訳ないと思っています」

と、苛立ちを露わにしながら、声も段々大きくなった。通訳は、感情的な発言を故意に外して、趣旨を伝えようと懸命であったが、戸惑いを隠しきれずにいた。

そこに突然ルネッサンス・ホテルのフロア・マネージャーが会議室に入って来て、

「あまり大きな声を出さないで下さい。隣室の方にご迷惑です」と注意を促した。