母はまじめで、責任感の強い人だった。教員免許を持っていたが、父を支えるため専業主婦をしていた。

母は東京にある津田塾大学の英文科を卒業し、イギリスに留学したこともある。女もこれからは外に出て働く時代になる、だから大学に行きなさい、と母方の祖父がよく言っていた。

得意だった英語を武器に英語教員の資格を取ったが、それを取るのが遅かったらしく、正職員としては働けなかったようだ。外で働けなかったことは母にとってきっと大きなストレスであっただろう。

しかし、離婚するまで母に怒られた記憶はない。優しい母だった。離婚後は父親の役目も母親の役目も果たさなければならないと思っていたのか、毎日必死に働き、私たちを育ててくれた。しかしこの母の強い責任感が私にとって重圧となる。

門限は17時、市販のお菓子は身体に悪いので禁止、コメディー番組は禁止、テレビは1日30分以内。健康志向が強く、シャンプーもいい匂いのする市販のものは禁止で、無臭のものしか使えず、着色料や添加物の入った食べものを食べると怒られる。コンビニなんて行ったことがなかった。

髪を切る時だって、髪型まで指定される。私は髪を伸ばしたかったのに、あんたは髪が多いから短くしなくちゃ、と古風なオカッパにされ、泣きながら家まで帰ったことが何度もあった。

流行りの服なんてもちろん買ってもらえない。一緒に買い物に行くことは数えるくらいしかなかったが、たまたま洋服屋の前を通った時に2000円くらいの流行りのスカートを見つけ、買ってほしいとねだるが、「高いから無理、それにかわいくないじゃない。これならいいよ」と300円のダサいTシャツを指さす。絶句。母に何かを望むことが少しずつなくなっていった。

転校後、まきはお姉さんのように私を助けてくれた。地元のおもしろい場所に連れていってくれたり、目新しい転校生にちょっかいを出してくる男子から守ってくれたり。右も左もわからず、右往左往していた私が『千と千尋の神隠し』に出てくる千尋だとすると、まきは千尋のしつけ役であるリンのような存在だった。

時々まきの家に泊めてもらった。初めて家に入った時、金髪パーマのおばちゃんが出てきた。その見た目の迫力にちょっと驚いたが、まきのお母さんだった。「お母さん、こわくない?」まきは大笑いしていた。