宗ちゃんと級友たち
クラス会が終わって間もなく廣子ちゃんから電話が来た。
「この間の話ね、宗ちゃんに頼んだら早速欲しいって言うんだよ、五枚とか言ってたわ。警察とふるさとセンター茂木とホテルグリーンヒルとあと、どこかの会社だって言ってたわ」と言う。
そんなに急なこととは思っていなかったので驚いたが、せっかく宗ちゃんが動いてくれたことだし、アトリエは狭くなっていたので、宗ちゃんに問い合わせた。
「町では予算がなくて買えないっていうから、せめて額縁代にと思って五万円ずつ貰うことにしたんだけど、それでいいかや? 運ぶのは俺がトラックで行くからよ」と言う。もとより寄付する心算でいたので、申し出を有難く受け入れた。
九月、残暑の厳しい日だった。宗ちゃんは大きな幌つきのトラックに廣子ちゃんと三上さんを乗せて我が家へやって来た。宗ちゃんは町で自慢のうどん一箱を持ってきてくれた。重い。三上さんは「家の田んぼの米」を十キロ、廣子ちゃんは「今朝、道の駅で買ったんだよ」と沢山の野菜や梨など、我が家の狭い台所はお土産でいっぱいになった。
せめてお昼ご飯を、と私は腕を振るった。食後のコーヒーを飲みながら宗ちゃんはまた思いがけないことを言い出した。
「一週間ショッピングセンターに展示するから、小品も飾りたい」と言うのだ。私はあわてて五点ばかりを用意した。「じゃあ来週うかがいます。宗ちゃん、ホテルを予約しておいてね」と頼んだ。
「道が混まないうちに帰っぺか」と絵を積み込んで三人は帰っていった。翌週、私は車を飛ばして町へ行った。ショッピングセンターの一画に絵はきちんと飾られ、小品の幾つかは赤丸が付いていた。
その夜、ホテルにはまた宗ちゃんの計らいで八人の級友が集まって中華料理で再会を祝ってくれたのだった。翌朝、宗ちゃんは絵をトラックに積んで私を迎えに来た。廣子ちゃんも一緒だ。
彼女は多趣味で、書をはじめ、水彩画、俳句を得意とし、町の婦人会の役も沢山持っていて忙しいのによく付き合ってくれるのには恐縮した。
まず、ホテルの支配人に挨拶して大作のひとつ『ベニス』をホテルに寄付。宗ちゃんのトラックに続いて故郷センター、警察署、ある会社と回った(いずれも『ブルターニュの記憶』)。
宗ちゃんは汗を拭き拭き、絵を下ろし、運んでくれた。最後にショッピングセンターに戻ってお茶を飲んだ。話の様子から、どうやら警察署の分は宗ちゃんが負担したらしいことに気づいてお返しすると「そんならここにお礼するべ」と言う。気が付かなかった私はあわてて封筒を用意して店長に御礼したのだった。