時間だけが過ぎていく定年前、脛(すね)に傷持つ身にはつらい
階段下から、妻の大きな声が聞こえた。
「食事よ」
二階でも、今日はカレーだなとわかる。「匂い」については全く後遺症の無いことにニンヤリ。
「うん。今いく」
食卓に座ると、妻は、私のカレーの上に真っ赤な福神漬けをスプーンで乗せながら、
「今日は、会社で何かあった」
それを見ながら、以前、一緒に仕事した先輩の話をした。
「会社の総務担当補佐に、お世話になった先輩が継続雇用制度で異動されてきたよ」
今日、一日中、違和感のあった感じで業務をし、先輩とは、理由もなく何も話をしなかったことを伝えた。
「貴方は、継続雇用で会社に残るの」
「どうしようか、考えているところだよ。お前は、どうしたら良いと思う」
「貴方の好きなようにすれば、いいと思う」
「長期入院していたら、継続雇用できないと言うやつが居たぞ」
「みんなが継続雇用するのだから、それは、おかしいわね」
専門職だし、そんなことは無いだろうと、何とかなるだろうと思い、「継続勤務」の可能性には気を使わず、慣れた会社で仕事はできるし有力な選択肢の一つであった。大好きなカレーも食べ終わり、ソファーに座りなおすと妻から、
「会社から、何か届いていたわよ」
会社からの封書を持って来た。会社からの「退職金のご案内」である。
内容を確認し大切なところは読んで妻に聞かせた。
私は、定年後の生活を考えて、妻にわかるように、
「退職金の半分を企業年金にして、残りは一時金にしたら良いと思うな」
妻は、過去の私の大きな失敗を、思い出させるように私を見て、目で訴えている。
「いいよ。退職金楽しみね。」
過去の損失分を取り戻せと……。
妻は、定年よりも「退職金」を楽しみにしているようだ。私の過去の傷口が痛む。
私は、嫌みっぽく妻に向かって言った。
「定年離婚は、考えていないの」
妻は、子供っぽく、
「やだあ。まだそんなこと覚えているの。今は、退職金が楽しみ。定年後、日本一周のクルージング旅行なんか良いな」