朱夏の山

夏雲を 見上げて思う 山への気持ち 抑えきれない 遠き峰々

【谷川岳(群馬・新潟)みんな山が好き 1990年6月

各地から山に集まる6月の風が爽やかさを運ぶ早朝の水上町、湯檜曽町を抜けて、土合駅前を過ぎると国道291号は左に大きく曲がる。

雪避けのトンネルを抜けると、左に広い駐車場があった。すぐ上が谷川岳ロープウエーの駅だ。今日は日曜日なので、始発は6時20分。ドアは自動。上のほうに見える天神平駅のバックには青空が広がっている。窓の右手に見える双耳峰が谷川岳だ。

ロープウエーを降りると、駅前の広場で二人の女性が「登山者への注意」を読んでいた。日除け対策か、二人とも大きな麦わら帽子をかぶっている。

「2時間半だって」

「私たちの足じゃ、3時間と思えばいいね」

近づいた私に、

「3時間かけたら登れるでしょうか?」

と一人が後ろを振り向いた。60歳前後のおばさんだ。私が前になってしばらく三人で歩き出した。話してみると、栃木県の佐野市を今朝4時に出てきたという。

「私も4時に川越を出ました」

「そうですか。ここまで同じくらいなんですね」

「もっとも、私は関越高速を飛ばしてきたんですけど。お宅も車ですか?」

「この人のご主人の車でね」

「旦那さんは登らないんですか」

「心臓が弱いんで山登りはダメなんです。若いころはけっこう登ったんですけどね。車のなかにいますよ」

高い樹林のなかに木道の緩やかな登りが続く。二人に合わせて私もゆっくりペースで登ったが、二人のおばさんは立ち止ったり、汗をぬぐったりで、いつの間にか私の遥か後ろになってしまった。

私は樹木が一ヵ所だけ途切れたところに出た。南峰と北峰が猫の耳のように立って見える。その右には西黒尾根が翼を広げたように延び、尾根の斜面にはところどころに雪渓もある。

間もなくして小屋があった。外壁と屋根は半分錆びたトタン板で、「熊穴沢避難小屋」とあった。

なかから方言会話が聞こえてくる。十人くらいの中年の団体だ。私は近づきながら、覗き込むように、誰にともなく聞いた。

「ここは、泊まれるんですか?」

「屋根があっから、敷物しきゃあ泊まれるっぺ」

タオルで鉢巻をした旦那だった。腰を下ろしている40歳くらいの女性に聞いてみた。

「どちらから来られたんですか?」

「友部です」

「茨城県のですか」

「ええ」

この女性は地下足袋だ。

「じゃあ、夕べ水上か湯檜曽に1泊して?」

「いいえ、友部を夕べ11時に出ました」

「え! 11時に。凄いですね」

横から中日ドラゴンズの野球帽をかぶった男が、

「なに、凄かねえさ。昔、30年も40年も前に山をやっていた者ばっかしよ」

「同じ会社か何かの人たちですか?」

「いや、近所の人たちさ」

菅笠をかぶっている人もいる。一番年長者のようだ。

「去年の夏、富士山に母ちゃんたちさ連れていったら、山好きになっちゃって、『また行こう』、『いつ行く?』って毎晩のように言われるんよ」

「良いですね」

「6組の似たもの夫婦が集まったんさね」

60歳くらいの人もいる。

「11時じゃ、夜通し代り番こに運転しながらですか?」

「いや、小型バスの運転専門の人がいて、その人は山に登ってこねっぺ。車のなかで寝ているよ」

そういえば、女性六人と男性五人だった。