魑魅魍魎が嗤う―宗教と恋愛―

弥生「う~ん、やられたかなぁ、日本大使館の紹介だから、すっかり信用してしまったのがいけなかったのか、でも、まだ、わからないよね、とりあえず、明日の朝、6時にいけばわかるわけね。だけど、サドゥーとはいえ、男と2人で1ヶ月の旅はデンジャラスな匂いがしないでもないわ」

私の卒論は「恋愛」。

得体の知れない感情(好き、嫌い、の他に何か?が、あるのではないか)に振り回されて(人生につきまとって)いる事実。未だに人類が気づかない「重大な何か」があるに違いない。得意分野である思考論理(まぁ、普通に妄想と言った方がわかりやすい)が働いたのだ。

恋愛について、どう思うか、を、陽子に聞いたことがあった。

陽子「うん、テーマ的にも面白いんじゃない。でも、まぁ、一言で言うと、面倒臭い(笑)。つまり、好き嫌いという感情はちょっとした事でも反転するじゃない? 出会った時は好きでもなかったけど、いつのまにか大好きになっちゃった、とか。大好きで愛していた、のに、大嫌いで裁判沙汰になっている、そんなケースは珍しくもないよね?!」

弥生「うん、ニュースや報道番組でも特集されている。それだけ大衆は恋愛に興味がある証拠よね。まぁ、芸能人や著名人は注目のマトだから、何をしてもニュースになっちゃう」

陽子「社会制度(共産主義、社会主義、民主主義など)で恋愛事情は大きく違うけど、共通するものがあるとすれば、恋愛する事そのものが困難な状況にあればあるほど、つまり、「許されない恋愛」なのに好きになってしまった。お互いに。ワォ、もう燃えるよね(笑)動物は危険から遠ざかるものなのだけれども、なぜか、ホモサピエンスってさ、破滅がわかっていても恋愛しちゃうんだよね。

これってさ、本能に反する行為じゃない? 最初に面白いと言ったのは「本能を研究する」こと、で、面倒くさい、と、言ったのは「本能研究を始めると本能から遠ざかるから」で思考論理を両方軸に持ちながら(いきなり対立する思考論理(つまり、二つの相反する妄想をしないといけないじゃない))時には絡み合いながらも、ほどく作業をするのだから。

先に結論めいたことを言っておくとね、恋愛は矛盾である。ホモサピエンス、たるなんとかを語るときに「恋愛」は必要不可欠。人間が進化の過程にあって、そして進化へのゴールを目指すのなら、「恋愛」を矛盾から解放しないといけない」

弥生は苦笑いをした。まさか、サドゥーを好きになったりはしないと思うけど…。