晴信は鉄砲の知識は無いふりをして光秀の話を熱心に聞いていたが、武田家には、京に武田屋敷があり、諜報機関として都の情報は随時躑躅が崎に報告されており、鉄砲の情報もすでに伝わっており、武田家でも数丁取り入れて、硝薬の製造法についても研究され始めていた。
信玄が尋ねた。
「ところで光秀とやら、貴公は越後より下って参ったそうだが、上杉家では鉄砲は取り入れておるのか」
「いいえ、上杉様はそのような人殺しの道具は用いないと申され、不要だと仰せられました」
「さすがは上杉殿だ、儂も戦いは人間力だと思って居る。家臣も領民も結局は人間力によって支配いたすしかない。武力というのは人を沢山殺すことが目的ではない。家臣や領民がいかに安心して暮らせるかが肝要である」
「さすがの御高説承りました。それがしも心に銘じて参りたいと存じます」
「ところでこの頃の都の様子はどうであるか。安寧は保たれておるのか」
「はい。三好三人衆や松永久秀により政は牛耳られており、将軍家は有って無きがごとしではありますが、ひと時の荒廃からはいくらか立ち直りつつあります」
「ところで上洛を致しそうな大名家はいるのか。将軍家はこの儂にも盛んに上洛要請の書状を送ってこられるが」
「駿河の今川家が上洛の一番手かとも思われますが、今川家上洛のためには、尾張の織田家と戦うこととなります。戦力では、今川家にとって織田家など物の数ではありませんが、織田家の当主信長殿は相当の戦略家で、尾張の統一をほぼ果たし、外部に目を向け始めており、今川家にとっても相当な強敵になると思われます。現に織田家では、新兵器の鉄砲に目を向け、大量に取り入れておられます」
「そうか。織田信長とはそのような大物か。当家も何か縁を結んでおく必要があるやもしれぬ。ところで、家族連れの旅と聞いたが、ここから東に二里ほど行ったところに石和という名湯がある。しばらくゆっくりしてゆかれよ。この儂の方から宿に手配しておこう」
「有難うございます。妻子も待たせてありますのでこれで失礼致しますが、お言葉に甘えて今夜の宿はそちらの方に致したいと思います」
光秀は、武田晴信と思わぬ有意義な対話ができたことに満足し、躑躅が崎の武田屋敷を後にした。