国民全員が便利で快適な生活をおくるための電力エネルギーは遠からず破綻する。破綻しないためには地球上の資源を取り尽くすほどの大量生産・大量消費となる恐れがある。

二十世紀の機械・電動化文明の延長線上で、生き残りの実験をしているようなものだろう。十年以上前から、将来の電力需要を満たすために五十以上の原子力発電所の建設を進めてきている。

日本で三十年以上も前から構想されてきて今や破綻した高速増殖炉などの原子力エネルギー再生回路が技術的に確立されない限り、欧米のありものの技術でエネルギー大量消費文明を築いていこうとする中国がその長期計画の中央集権的大義名分をいったん降ろすことができない限り、いつかはエネルギーの限界が来る。

情報化の段階とは異なるモノの電動化の領域において貧富の格差をなくそうとすることは単純にそういう技術的な課題に直面するということだろう。第二章では、「電動化が直面するオートノミー」と題して、エネルギーの限界に対するいくつかの課題対応を提示してみたい。

最後のフェーズである「知能化」とはヒューマンの活用のことである。

人工知能への疑問はヒトが個別に解決することになるだろう。

つまり、汎用人工知能ではなく、機能別の人工知能の開発を生命機能である「ヒト」と共存させることで、より効率的な省資源循環をもたらすことができる。技術のエコへの応用というよりは、技術そのものがエコであるべきだ。それは機械文明のエコではなく、感情を持つ「人」に寄り添う物理化学的なエコ社会とそれを支える要素技術を追求すべきだろう。

そのためにこそヒトと機械のインターフェース、「ヒューマンマシン・インターフェース(HMI)」の要素技術を追求すべきである。それはヒトとマシンを繋げる情報化技術でもあるが、それ以上に感情を持つ人とマシンが共存するための社会の構築となる。

省エネで昔に戻ろうということではなく、省エネの最先端マシンと一緒にエコに暮らそうということであり、最先端技術が切り拓く新しい社会の有り様だ。第三章「知能化とヒューマンマシン・インターフェース」として、いくつかの仮定を構想してみたい。