そんなら、神のなせる業でないなら、いったい何が罪のない善良な人々に災いや苦しみをもたらすのか、それを問われても俺には答えが見つからん。ただ単なる偶然のなせる業と言っていいのか、運命として諦めるしかないのかどうかも分からん。
災いや苦しみに見舞われた時、他の人ではなしに、なんで自分だけがそうなるのかと思って、到底納得できひんのが普通やろと思う。
けど、その時に言えることは、訪れた災いや苦しみや悲しみをなんぼ嘆き悲しんでも、なんぼ大声で泣き叫んでも、一度起こってしもたその不幸な苦しい現実を絶対に元には戻されへん、消されへんということや。
たとえ神というものに願ったとしても、その今というものを、その現実を、変えられへんのや。元に戻されへんのや」
2人が大きくうなずくのを見て、勉はさらに続けた。
「そやから、つらいけど、後ろを向かんと前を向くしかないんや。その現実と正面から向き合って、前を向いて戦いながら生きるしかないんや。苦しい現実と戦わなかったら、苦しみや悲しみはさらに膨張することになるやろと思う。
こんなことを言葉で言うのは簡単で、耐えられんような悲しく苦しい現実の中で、絶望のあまり死を選ぼうとすることがあるかもしれん。
けど、死ぬんは、悲しく苦しい現実と一度戦ってみてからでもできることやろ。何もしないで、ただただ嘆き悲しんで泣き叫んで滅んでいくんではなしに、その現実と一度戦ってみるべきやと思う。
悲しみや苦しみを越えられなかったとしても、それこそ死ぬ気になって懸命に戦うこと自体で、たとえ微かでも光が見えるようになって、もうちょっと生きてみようと思うようになるかもしれん。死の誘惑から逃れられるようになるかもしれんと思う。
俺は生き延びるために、できること全てに挑戦したいと思う。たとえ、死に至ってしもても、やるべきことは全てやった、戦い抜いた、生き抜いたという満足感が欲しい。そうでないと、死というものを到底受け入れられへんと思うんや。
ところで、正直なところ、俺は死という未知なるものが怖い。怖いから悲しく苦しい現実と戦うことになるかもしれんし、死への恐怖さえも打ち消すような、苦しい悲しい現実を前にして、死を選ぶかもしれん。
そんな現実に直面したその時にならんと、どうするかよう断言せん。しかし、自ら死を選ぶのは避けたいと思う」
「それは俺も同感や」と宗は相づちを打った。