その面接の最後の質問で、年齢詐称を指摘されました。私は、一歳くらいの事で、どうしても諦められないほど、貴社で働きたいと、自分の思いを切々と訴えました。

私の熱意が伝わったのか、翌日、採用の知らせを受けました。

私は、運に感謝し、襟を正し、産経新聞社に途中入社しました。しかし、これが、思わぬ苦労の始まりでした。ここでは、事務職の女性ほとんどが、アルバイトか派遣社員で、そこから認められた人が、やっと正社員になるといった形態でした。秘書もそうでした。

そこへ、いきなり正社員採用され、しかも、事務職の女性皆が憧れていると聞かされた秘書に抜擢されたので、穏やかではありません。社内の女性達の冷たさが、事あるごとに、身に刺さりました。まさに、針のむしろでした。

そんな事に、気落ちする暇もなく、忙しい毎日が始まりました。

入社して二年目の、平成七年一月十七日に、阪神・淡路大震災が起こりました。同じ年の三月二十日に、地下鉄サリン事件が起きました。

都度都度に号外が出され、新聞社は、目が回るような忙しい毎日でした。私の体は、悲鳴をあげ始めました。休日を待っているかのように、週末に喘息発作が起こり、救急病院で点滴を受ける有り様でした。

そのうち、眠れなくなりました。心療内科を紹介され、行くと、うつ病だと診断されました。まだ世間で、うつ病の珍しい時代でしたので、奇異な目で見られ、二週間の休職をとるにも、肩身の狭い思いをしました。

現在では、うつ病はよくある現代病と認識され、大手の会社だと、一年でも休職できるようですが、できれば、自分も含め、こんな病気が無くなる日がくる事を、祈らずにはいられません。