仕事は志事
稲盛氏は、『考え方』などの著書の中で次のような「人生の方程式」を提言しています。稲盛氏も生きることと仕事をすること(働くこと)は同じ土俵で考えていることがわかります。
人生・仕事の結果=能力×熱意×考え方
仕事の結果は、能力、熱意、考え方を掛け合わせた大きさで決まるということです。
考え方とは、その人の思想、哲学、理念、信念であり総じて人間としての生きる態度(姿勢)と言えるものです。能力と熱意には、0点から100点までありますが、考え方は、マイナス100点から100点まであります。
したがって、いかに能力と熱意が高得点でも、考え方がマイナスであれば、仕事の結果はマイナスになります。考え方次第で仕事の結果が、変わるということです。
仮に掛け算ではなく足し算であれば、考え方がマイナスでも、仕事の結果は、プラスになる可能性はあります。そのことを否とするために掛け算にしたところに、考え方がいかに大切かということがよくわかります。
志事は、仕事に向かい合う考え方を正しく持つことであるこのように考えると仕事は「事に仕える」と書きますが、「事を志す」と置き換えて志事と表現すると、自らが主体的にどのような考え方に基づいて仕事に取り組むかという態度が明確になり、何か背筋がピンと伸びるような感じがします。
ヴィクトール・エミール・フランクル(以下、フランクルと記します)は、著書『それでも人生にイエスと言う』の中で、ある青年とのやりとりを次のように述べています。
「私の職業をなんだとお思いですか。一介の洋服屋の店員ですよ。私はどうしたらいいですか。私は、どうすれば人生を意味のあるものにできるんですか。」
青年の質問に対して、フランクルは次のように回答しています。
「この男が忘れていたのは、なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。活動範囲の大きさは大切ではありません。(中略)。各人の具体的な活動範囲内では、ひとりひとりの人間がかけがえなく代理不可能なのです。だれもがそうです。各人の人生が与えた仕事は、その人だけが果たすべきものであり、その人だけに求められているのです。」
フランクルと青年とのやりとりは、人生の方程式(稲盛氏)の「考え方」に関する両者の違いが明確に出ていると思います。やらされ感で仕事をするのではなく、当事者意識を持って自分の仕事として向き合えば、様々な気づきや創意工夫のアイデアで付加価値が生まれます。
仕事の大小や内容や世間的な価値ではなく、どのように仕事に向き合うかという考え方が重要です。