デイトレーダー「ヤーマン」誕生
新たなる戦場
「今回、山下君がついにK証券本店営業部に栄転になりました! おめでとう、これから出世しろよ、カンパーイ!!」
2011年4月。僕はK証券本店営業部に異動になった。投資戦略室で苦労を共にした仲間たちは僕の栄転を喜んで送別会を盛り上げてくれていたが、前月に起きた東日本大震災で日本全体が重苦しく沈んでいた。
僕の心も、やっぱり日本を覆うこの空気と同じように暗く重かった。本社ビルの片隅にリストラ候補社員のために作られた投資戦略室とは違い、本店営業部は本社ビルの2階フロア全体を占める。
営業部に所属するというのは聞こえはいいかもしれないが、約50人のK証券の営業部員が営業成績を上げようとしのぎを削る中、I証券から初めて、ただ一人送られた僕の立場は投資戦略室の時よりもさらに厳しい。苦しくても愚痴を言い合う仲間さえいない。
そのうえ、僕はこのときすでに会社を辞める決意、デイトレーダーとして生きていく意志を固めていたのだ。それは本店営業部に異動になる4カ月前のことだった。
2010年12月18日の日本経済新聞一面にこんな見出しが出た。
"信用取引、同じ担保で複数売買東証などが規制緩和"
記事を読んで、
「信用取引が規制緩和されたら、同じ資金を使って何度も回転取引ができるようになる、資金が少なくてもデイトレーダーとしてやっていくことができる」
という考えがひらめいた。投資戦略室の上司たちのイジメに身体と心がもろくなっていた僕は、必死に出口を探していた。これが探していた出口になるかもしれない!
その記事を読んだ後、すぐに僕はデイトレードの準備を始めた。証券会社で働いていると原則自分で株取引をすることはできない。インサイダー取引など不正な取引が発生しないように、厳しく管理されている。
そうは言ってもディーリング部を離れて約1年、市場の動きを体感していなければ投資家としてやっていけるかどうか、判断することもできない。
僕は板と株価チャートで株の値動きを追いながら、頭の中で売り買いのシミュレーションをやってみることにした。取引のシミュレーションをするといっても、市場が開いている平日の9時から15時までの間でなければ実際の取引を体感することはできない。
しかし、この時間帯は営業で外回りをしなければいけない。僕は営業成績を上げれば課長たちの尾行がつきにくくなることを利用した。
以前にも増して営業成績を上げる努力をし、午前中に得意先回りを終え、午後はこっそり自宅に戻ってトレードの練習をした。