第1章 ディーリング部は天国
どん底の中の決意
2011年1月、大阪市野江内代駅近くの住宅街。
その日も僕は、投資信託や債券の資料を詰め込んで、パンパンに膨れ上がった革製のカバンを手に地下鉄の駅を出た。冬の空は灰色で、雪が次々と落ちてきては、僕のスーツの肩に降り掛かる。その雪を、腕にたたんだコートと傘を抱えながらなんとか払い落とし、凍えた指で訪問先の住宅のインターホンを押す。
しばらくするとインターホンから物憂げな返答が聞こえてきた。寒さで頰が引きつっているが、インターホンのカメラに向かってめいっぱいの笑顔を作る。
「××様、はじめまして。私、IK証券の山下と申します。最近こちらの地域を回らせていただいておりまして、ご挨拶をさせていただければと思い、うかがいました」
「……」
返事はないが、ここでめげていてはいけない。さらに明るい声でインターホンに向かって話しかける。
「自己紹介のチラシを、ポストに入れさせていただいてもよろしいでしょうか」
「……ええよ」
少し間を置いた後で、投げやりな声が返ってきた。
「ありがとうございます、お時間あるときに読んでいただければと思います」
しゃべっている途中でインターホンの切れる音が聞こえたが、気にせずポストの中に、そのチラシを落とし入れる。これで1軒。
住宅地図と照らし合わせながら、朝の9時から15時過ぎまで、1軒ずつ訪問を続ける。ノルマは1日100軒だ。そしてこんな雪の日もインターホンを押すときには傘をたたみ、コートも手袋も脱いでおかなければならない。
突然吹いてきた北風にあおられて、思わず身震いする。
「うぅ、寒っ、……地獄だ」
こんなはずではなかった。作戦どおりに就職活動を勝ち抜いて、毎日楽しく会社員生活を送るはずだった。それなのに今は投資戦略室で、毎日上司にイジメられながら、自分なら買わないような商品を心を殺して売り歩いている……。
どん底だ。でもいつまでもこのままではいられない。次の目標は自分で見つける。見つけて自分から動く。そしてなんとしてもこのどん底から抜け出してみせる!
降りかかる雪をものともせず、僕は空を見上げた。雪が次々目に入ってくるけれど、僕は目を見開いてぶ厚い雲の向こうの空を見ていた。この雲の向こうには青空がある。僕はそこにきっと行ける。
いや、必ず行ってみせる!