絶対に証券ディーラーになる!
2008年、僕、山下拓馬は大阪の金融街、北浜にあるI証券に入社し、ディーリング部で働いていた。
ディーリング部とは、会社の資金を使って個人の判断で株取引をして利益を稼ぐ金融取引のプロ、ディーラーの集団だ。
この場所で働くために、僕は必死に努力した。といっても、株取引に興味があったわけではない。というか、僕は入社するまで株取引については、ほとんど何も知らなかった。
大学時代は工業大学の建築科に在籍していた。建築科といっても建築に興味があって入ったわけではない。
高校生の頃、「僕だけのマドンナ」というテレビドラマで、建築を学ぶ大学生の役をしていたタレントが、黒くて細長い筒を肩に掛けていた。黒い筒は建築の図面ケース、それがすごくカッコよかった。
単にタレントがかっこよかっただけなのかもしれないが、僕はその黒い筒を肩に掛けるべく、建築科に合格するために頑張った。念願かなって大学に入学すると、僕は即、図面ケースを購入し、肩に掛けてキャンパスを歩いていた。
建築に対するモチベーションはその程度だったから、大学時代はひたすらバイトに精を出し、合コンと飲み会に明け暮れた。合コンで彼女もゲットし、大学生活はバラ色だった。
しかし大学3年になると、就職活動が始まる。他の同級生たちと同じように、僕も東京や大阪で開かれる説明会に片っ端から出席し、エントリーシートを書き、面接を受け始めた。
そのころ僕には建築科を目指した時のようなはっきりした目標がなかった。どうせ入るならカッコいい会社がいい。そう思って面接を受けても、どうしてもその会社で働きたい!という気持ちがないからか、来るのは不合格の連絡ばかり。
面接で落とされ続けると、社会が僕という人間そのものを否定しているように思えてくる。当然気分も沈み込んで、楽しいはずのデートでもつい弱音が出る。
「あー、もう就活、嫌になった、やめようかなー」
真面目に就職活動を頑張っている同級生の彼女は就活雑誌を眺めていたが、呆れた顔をして言った。
「何言ってんの。ここで諦めたらニートかフリーターだよ!」
「でも実際、コレやりたい!っていうのがないんだよな。だから面接でも今ひとつ押し切れない」
「そんな働きがいのある理想の会社なんてあるわけないでしょ。もっと現実的に給料高い、とかで気持ち上げれば? ほら、銀行とか初任給いいよ。営業職だと手当も別に付くんだって!」
「営業なんて、ノルマに追いまくられて残業、残業だろ? 絶対に嫌だな!」
「山下くんは上司に怒られながらガツガツ数字積み上げて喜ぶ、ってタイプじゃないもんね」
僕のやる気のなさを鼻で笑っていた彼女が、広げた雑誌に目を落としたと思うと、僕の方に突き出して指差した。
「でもほら、ここ見て。証券会社ってこんな楽そうな部署もあるらしいよ。意外だね」
そこに書いてあったのはとある証券会社のディーリング部の紹介記事だった。相場が始まる朝9時から15時10分(当時、大阪証券取引所の取引は15時10分までだった)まで取引し、17時に帰宅できる、とその会社の社員が書いていた。
「本当かなぁ。学生集めのために盛って書いてるんじゃないの?」
「入ったらこんなはずじゃなかった、っていうのあるよね。……でもね、ほら見て。Y証券も、A証券も、ディーリング部はどこも同じようなこと書いてるよ」
彼女は金融関係にターゲットを絞っていたので、銀行、証券会社などの資料をたくさん集めていた。
彼女の集めた就活用のパンフレットには、確かにどの証券会社のディーリング部も「仕事は17時まで、残業ナシ」と書いてある。
こんな理想的な職場があるんだ! 急に僕の目の前に道が開けた。目標がはっきり見えた。僕は決意した。
「よし、行く! ディーリング部に入る!」
「ちょっと待って!」
と、冷静な彼女が釘をさす。
「採用されてもディーリング部に行けないかもしれないよ? 営業部とかに回されたらノルマで大変だって、今言ってたじゃない」
「新卒からディーリング部に配属される会社に入ればいいんだよ! 調べる!」
「えっ……。でも、そういうのって大学の頃からいっぱい株やってる人が対象なんじゃないかなぁ。山下くん、株、やったことあるの?」
「ないけど」
半分呆れ顔の彼女を尻目に、僕はその時からありとあらゆる証券会社を調べ始めた。目標を見つけたら、それに向かって突き進む。「決断したら即行動」が僕のポリシーだ。
「山下くん、建築科なのに……」
彼女のつぶやきも、僕の耳には入らなかった。
東京、大阪、名古屋、場所はどこでもいい。目標はただ一つ、ディーリング部に入ること。
確かにほとんどの証券会社は一括採用で、配属部署は入社後に決まるのだが、入社時からディーリング部に配属される、つまりディーラーとして採用する会社も少数だが見つかった。ここにターゲットを絞って就職活動をすることに決めた。
しかし、最初からディーラーとして活躍する人材を相手は探しているのだから、彼女が言うように、大学生の時から株取引をやっているような学生が対象だ。でも僕は今まで一度も株取引なんかやったことがない。
いかにして面接で「僕は株取引に詳しいです!」と、アピールするか。
調べるとインターネットのサイトに「I証券の面接で聞かれること」が書かれているのを見つけた。
「これだ!」
僕は質問に対する回答を、株取引の実例を調べて作り上げた。毎日授業の合間に株価をチェックして、何を買って、どのタイミングで売って、いかに儲けていたか……当然全部作り話だが、目標が明確なので、今までとは面接の時の気迫が違う。
自信たっぷりに力強く説明すると、面接官は感心して聞いていた。最終面接では社長に肩を掴まれて、「ぜひわが社に来てほしい」とまで言われた。
こうして2008年春、僕はめでたくI証券ディーリング部の一員となった。