ディーリング部は理想の職場
株式市場。そこは国内外から何億、何兆もの資金が集まる場所。投資家たちの思惑、欲望、疑念、不安が渦巻き、時にそれらは重なり合って、予想もつかない大きな波を生み出すことがある。
そんな時、一瞬ディーラーの反応が遅れたら、ひとつ判断ミスをしたら、それだけで何千万もの損失を会社に背負わせることになる。
そんな世界でディーラーは皆、食い入るように株価チャートの変動を監視し続け、投資家たちとの心理戦で精神をすり減らし、毎日殺伐とした気持ちで暮らしている……。と、思っている人が多いかもしれないが、その当時、証券会社のディーリング部はちょっと違った。
朝は8時半までに出社して、15時まで取引。その後はみんなでゆっくりお茶を飲みながら過ごし、17時に退社。就活のパンフレットに書いてあったとおりだ。
5月、新入社員研修後ディーリング部に配属された僕もこの優雅な生活を満喫した。この年の新人は僕と橋口と饗庭の3人。新人の机は窓際で、一人ずつ縦に並んで、僕は真ん中の席に座ることになった。
ディーリング部は22階。ガラス窓からは土佐掘川や中之島公園が一望できる。取引には証券外務員一種の資格が必要なので、3カ月間は毎日金融取引の勉強をしていた。勉強に飽きたら水鳥が川に潜って魚を捕る様子なんかを眺めて定時がくるのを待つ。5時になった、これからが楽しい時間だ!
「ハシグチ、さあ飲みに行こう!」
後ろを向いて声をかけると、彼は微妙そうな顔をした。
「うん、いいよ。でも山下、そんなに毎日遊んでて大丈夫?」
「えっ、何が?」
「証券一種、試験来週だよ。受からないとヤバイぞ」
「大丈夫だよ、ちゃんと昼間勉強してるし」
「試験勉強だけじゃなく株取引の勉強もしたほうがいいんじゃない? 試験受かったら自分で取引するのに、山下、株のことほとんど知らないだろ?」
「そんなことないよー」
「じゃ、板、って何のことかわかるか?」
「バカにすんなよ、株の売り買いの一覧表のことだろ、それ見ないと注文できないじゃないか」
「じゃあ、ボリンジャーバンドって知ってるか? VWAPは?」
「……そのうち教えて! まあ今日は飲もう飲もう!」
こんな調子で毎日飲み歩き、毎週、週末の合コンのセッティングに忙しくしていたが、なんとか証券外務員一種の試験に合格し、9月、いよいよ株取引を開始することになった。ディーリング部は新人に誰かが手取り足取り指導してくれるわけではない。
トレーダーとしての実力を高めるためには自主的に取引の勉強をしなければならないのだが、僕はその自由な環境をいいことに、毎日飲み会ばかりであまり勉強しなかった。時々同期2人にアドバイスをもらいつつ、なんとか毎日の取引をやっていた。
ある日、急に部署内がざわつきだした。「古河電池!」と誰かが叫んだ。「すごい、急騰だ。」その声に押されて僕たち新人3人もこの株に参戦することにした。