買値が上昇する中、ようやく買いが成立した。と思った途端、株価は一気に急降下していく。
今までにない経験に、3人とも凍りつく。あわてて指値をつけて売ろうとするが、あまりの急落に追いつくことができず、売れない。
3人のあわてふためく様子を後ろから見ていた部署の責任者、センター長が、一番後ろの席の橋口に近寄り「投げ売った方がいいかもしれないねぇ」と小声でささやいた。
「あ、ハイ」と橋口は返事をしていたが、僕は何をすればいいのかわからない。
「何? 何? どうしたらいいん?」
目立たぬように後ろを振り向き、小さな声で橋口にたずねたが、彼はそれどころではなかった。画面を凝視したまま、彼も小声で叫ぶ。
「成売!」
「……成売って?」
「……今忙しい!」
センター長に「成売ってどうやるんですか」と聞いて「それは成り行き売り注文のことで、売値を指定せずに、そのときの買い注文の中の一番高い値段で売ってしまうことだよ」と教えてもらえればいいのだろうが、株のプロとして入社したからそれはできない。僕は、今度は前の席の饗庭の背中をボールペンでつついてみる。
「なあ、饗庭、成売ってどうやるん?」
同様に僕をかまう暇のない彼は、無言のまま背中をよじって僕のボールペンを払い、振り向きもしない。
同期2人に見捨てられ、僕はただただ降下する株価を追いかけた。何とか売値を下にずらしていくが、全く追いつけない。
「これ、どこまで落ちるんだ……。あー、ダメだ、どうしよう……」
半ばあきらめて画面をしばらく眺めていると、今度は急に株価が反発して上がり始めた。その後もみるみる株価は上昇し、何と僕が指した値段まで戻ってきた。
結局、成売した同期2人は底値で株を売ることになり、僕はセンター長に褒められた。
「お前、ようここまで戻るってわかったなあ」
「あ、はい、この局面ならここまでは戻るかな、と思ったので」と、僕はすまして答えた。
時にはハッタリも必要だ。同期2人は呆れていたが、日頃合コンのセッティングなどで感謝されているからか、僕のハッタリにも目くじらをたてず見逃してくれた。
その後も特に勉強もせず、ノリと雰囲気で売買して9時から15時までを乗り切り、全精力を定時以降の飲み会と週末の合コンのために使っていた。思い描いたとおりの生活だった。