とべたよ
王子様は、何も話さなくなりました。
雨が降っても、もう歌いません。時折、最後にアゲハチョウを見つけた黄色いコスモスの下で長いこと目をつぶっていました。そして、ある日ポツンと一言だけ傍らでじっとしていたカタツムリに言いました。
「誰かがいなくなるって、こんなにさびしいことなんだね」
カタツムリは何もこたえませんでした。そしていきなり踊り始めました。王子様はびっくりしてカタツムリを見ました。カタツムリは角をだしたりひっこめたり、おしりを振ったり頭を振ったりしながらひたすら踊ります。
最後には、勢いあまってひっくり返ってしまい、起き上がれなくなりました。王子様がカタツムリを起こしました。そして言いました。
「ありがとう。君はまだぼくのそばにいてくれたね」
カタツムリは大きくうなずいて、それから、うれしそうに笑いました。カタツムリの餌を探しに行くのは今は王子様の役目です。毎日カタツムリの好きな餌を探して大谷家の庭をあちこちと行き巡ります。王子様の知らない場所はもうどこにもありません。
カタツムリはどんどん大きくなりました。もう大丈夫。ひとりでやって行けそうです。マキの木の垣根の茂みの中にカタツムリは自分の家を見つけました。
王子様もほっとして、カタツムリをみおくりました。カタツムリは時々、マキの木の赤い実の間から顔をのぞかせて下を通る王子様に手を振ります。
雨の日は特別です。必ず家からはい出してきて王子様のところにやってきました。そして雨にぬれながら王子様と一緒に歌います。虹が出ると肩を並べて一緒に見ます。虹の色はきれいだったアゲハチョウの羽の色に似ていました。
秋になりました。王子様は王様やお后様と一緒に冬の宮殿へ向かいました。カタツムリも一緒です。みんな一緒に冬の間眠りにつくのです。
再び春が来ました。王子様もカタツムリも元気よく外に飛び出してゆきました。外はどこもかしこも明るく光に満ちていました。冬の寒く暗い宮殿とは大違いです。王子様とカタツムリは生きていることの喜びを心から感じることができました。
大谷家の庭は花や虫たちでいっぱいです。池にはメダカの家族がまた増えました。毎日が楽しくてたまりません。やがてお后様がこう言うようになりました。
「私も王様も年を取りました。だからあなたたちがずっとここにいてくれたほうが心強い気がします。それにここはとてもよい場所です。春にはスミレやバラ、夏にはフヨウとヒマワリ、秋はコスモスと次から次へと花が咲き、餌になる虫に不自由することはありません。
毎朝大谷夫人が欠かさず散歩し、怪しいものがはいりこむことをゆるしませんから安全です。わたしたちにとって天敵の蛇やもぐらはここではもう何年も見ていませんよ。鳥たちもおいしい木の実がふんだんにあるのでわたしたちには見向きもしません。ですから、ここはわたしたちのパラダイスです」