旧き京都の旅

11月12日(金)

その後私が寝付いたのは深夜2時頃の事で、目覚めたのは10時だった。

幸いチェック・アウトは11時でもいいとの事で、楽しかった余韻が慌てることで薄れずに済みよかった。私が京都で過ごせるのも残すところ2日だけとなった。

楽しく私なりに充実した日々を過ごしてはきたが、全般的に寝不足であり、かなり歩き疲れている。特に舗装道を歩くことが多く、体は重い。

とりあえず朝食を済ませ、金閣寺へ。過去2回の修学旅行では訪れた事のない金閣寺には、荘厳かつ華麗なイメージを抱いていたが、一度焼失しているためか、金閣そのものは安っぽく張りぼてのようで、少なからずガッカリした。

バスで京都駅に出て、遅い昼食後は奈良へ向かうことにした。運よく快速に乗車でき、初めて経験する路線で、初めて見る車両や風景も何もかもが楽しく、子供の頃に経験した旅のようにウキウキした。

奈良の町は小ぢんまりして整然とした町だった。駅近くには小ぎれいな店が並び、古都のイメージとはまた別の今風の顔を見せている。歩いて興福寺へ、国宝殿等を見て回る。

しかし、午前中には陽射しさえあったのににわかに曇って暗く、風も強くなっていた。例の如く歩き疲れ、あまりのんびりできない時刻ともなっていた。東大寺や法隆寺にも足を運びたかったが、今回は仕方がない。

奈良は小ぢんまりしていて歩き易い町(のよう)だし、歩いて寺院巡りが可能なのがいい。またいつか、ゆっくり歩いてみたい。

帰路は近鉄線を利用した。今夜は今回の旅の最後の夜であり、A君のご両親と初めて食卓を共にした。

私にとってはそのことのみで嬉しかったが、すき焼き風の汁でうどんや菜っ葉を煮て、そこへ牛肉を入れてしゃぶしゃぶ風に食べるという鍋も、しつこくなくとても美味だった。A家風京都料理というところか。

就寝前にA君と飲みながら話した。0時近くなって奥さんも心配していたが、久し振りに差し向かいでゆっくり話ができた。

それにしても、京都ではバスでも電車でも、整列した順に関係なく乗車しているのには驚いた。それで当然のようでもあり、習慣のようでもあり、人々は平然としており、やはり人口が少ないせいなのだろうか。東京では考えにくいことだし、少し奇異だった。

けれども、本当はこれくらいが普通であり、こうでなければいけないのかもしれない。空間的にも精神的にも、これくらいのゆとりがあるべきなのかもしれない。

11月13日(土)

とうとう最終日になってしまった。

今一度市内観光する気がないでもないが、それにしては空模様が頂けない。この時季にしては空気が生温かく、今にも雨がきそうである。いつ降り出してもおかしくない。

宅配便で荷物を送り返し、わざわざ雨の中を歩きたくはないし、歩き疲れが残っていて、総合的に考えたら早いとこ帰った方がよさそうだと、簡単に結論を出してしまった。

1週間以上もこっちにいると、関西弁がそれなりに身につくものである。比較的、関西の人は東京に馴染みにくいが、逆に東京の人は関西に馴染み易い気がする。少なくとも、関西人は人懐っこい気がする。言葉の響きも心地よい。

言葉といえば、最近「ら」抜き言葉が問題視されている。