旧き京都の旅
鞍馬と大原の間に静原という町がある。
小高い山に包囲された山合いの静かな町で、高い建物はせいぜい学校くらいなもの。そのほとんどが二階建てか平屋で、その家々の大半が黒っぽい瓦で統一されている。
東京や、勿論京都の市街地もそうだが、変にザワついたところがなく落ち着いている。山の緑が占める割合が高いことも影響しているのかもしれないが、こういう平面的な町の在り方は、人の心に平静を与えそうな気がした。
大原のバス停は長蛇の列で、座れないとわかると1台見送る人もいた。我々は再び市中へと戻り、A君の奥さん紹介のホテルにチェック・インとなった。
A君に尋ねて、近所のお好み焼き屋に夕食に出た。お好み焼きといえば広島や関西の名が思い浮かぶが、その店のそれは至ってオーソドックスだった。普段自宅で食べているものと変わりがなかった。
焼きそばは、とても美味かった。帰りがけに鴨川のほとりで、屋台のタコ焼きも食べた。これが関西風なのかという感じは特にしなかったが、満足、満腹だった。夜行疲れでウトウトするS君を横目に、私は初めてプロのマッサージを頼んだ。
11月11日(木)
今日は京都・北山の入門として、その盟主的存在といえる愛宕山を目指す予定である。
が、朝からの雨である。愛宕山ハイキングの方はあっさり流案、近くの喫茶店で朝食を済ませた後、相国寺、同志社大、京都御苑を巡る。
雨とあって人影も少なく、御苑では傘もささず歩く外国人さんと軽く会釈し合うほどよい距離感と空気が存在している。京都駅に出て、山陰本線で保津峡駅へ。
本来ならばここから清滝まで歩き、そこから愛宕山を目指すはずだった。私の希望でとりあえず保津峡見物にきたものの、京都駅から230円、20分の所にこれほどの自然景観が存在するとは、ホトホト感心してしまった。
駅から見下ろす保津川を川下りの船がゆったり下り、その両岸は険しい谷となっている。保津川に架かる橋はそのまま駅のホームとなっているが、それをダムに置き換えたら、ここは京都の黒部峡谷ともなりそうである。
京都駅からほんのわずかな距離にあるここは、人工物さえ目に入らなければ、正に秘境である。東京なら渋谷から山手線に乗り、東京や池袋辺りにこの景色が存在することになる。
そう考えたら、本当に驚くべきことだ。市街地の目と鼻の先に、この大自然、別天地があるとは、私にしてみれば、丹沢や奥多摩の替わりに立山連峰があるようなものだ。
あいにくの雨の上に、今日の私はスーツ姿といういでたちである。しかしS君の発案で、ここから清滝まで、せっかくなので歩いてみることにする。
何しろ、ここには空腹を紛らわす何かの店どころか、駅前広場と電話ボックス以外、一軒の人家さえない有様なのだ。小雨の中をトボトボ歩き、絵図版のある所から清滝へと折れる。
そこから清滝への道はやはり東海自然歩道で、時間にして20分ということなので、私の今日の格好でも何とかなるだろうと妥協と期待をした。
保津川に流れこむ清滝川沿いの道で、保津峡に比べたら小じんまりはしているが、ここも美しい渓流だ。清滝に着く頃には雨も上がり、淡霧に煙る清滝や周辺の山々、紅葉が美しく、そして京都らしい風景を見せていた。
京都駅へと戻るバスは次第に混雑し、嵐山で途中下車する気も失せてしまった。嵐山といえば以前A君が「昔とは変わってしまった」とこぼしていたが、タレント・ショップやら何やら、今風の店が並んでいる。
おそらくは、私の修学旅行の時とはかなり様変わりしているはずだ。京都ホテルが高層化して京都の景観を損ねるとされているようだが、この嵐山にも同様のことがいえるのかも。