例えば、踏切を渡ろうとしたら、遮断機が下りてきた。でも、自分で意思決定をコントロールできないんだったら、成り行きに任せて進んでいこう、なんてことをしたら自殺行為だし、傍迷惑。
反省レベルの考えを理解しても、物理的世界が変わるわけではないから、もし、それまで実践してきた日々の意思決定を放棄したら、生活は成り立たない。
では、理解すると何が変わるか。
前項の子供へのルール編み込みで見たように、日常レベルの考えに基づいたアクションを、一歩下がって反省レベルの考えで見渡す(意識する)ことができるようになると、同じアクションでも、それに付帯する快不快の情報の強度含め編み込まれ方が変わる。
つまり世界像が変わり、その後のアクションが変わってくる。新たな視点を得たことで世界像が変わる時、最初は多かれ少なかれ違和感がある。
これまで編み込まれた快不快情報と、新たな視点での快不快には、ズレがあるから当然だ。
特に、自分の意思決定・アクション選択を自分が意識的にコントロールできる、という日常レベルの考えは、子供の頃からルールの編み込みとセットで強固に染みついているので、違和感も大きい。だから、一時的に混乱し、モチベーションが下がるということはありうる。
ただ、反省レベルの考えを何度も意識し(主にルール違反に対する対応を判断する場合だろう)、関連する快不快情報を更新して行くと、違和感を覚えなくなる。じきに慣れる。
すぐに慣れたい人は
「本当は、反省レベルの考えが現実だ。ただ、日常レベルの考えを仮装(身に付けているフリ)して行動することで、つまり、本当は意識的にアクション選択をできていないが、あたかも意識的にアクション選択をしたかのように、承認したり褒めたりすることで、モチベーションも下がらないし、今まで通り人生を楽しめる。忘れないようにしないといけないのは、ルール違反時の対応を判断する時に、反省レベルの考えを考慮すること。」
というスタンスで時間短縮するのもあり。