第一章 伊都国と日向神話
1.ユダヤ系秦氏と『旧約聖書』
渡来人として知られる「秦氏」は、「ユダヤから来た(YUDU+KI)」という意味の「弓月君(ゆづきのきみ)」がその祖である。従って、秦氏は『旧約聖書』の神話とともにやって来たといえる。
わが日向神話の系図と旧約聖書の系図を比べてみると、その類似に驚くだろう。ここに、第一作から両神話の系図骨格を抜き出して、再掲・比較した。「別紙1 アブラハム以下の系図」と、「別紙2 アマテラス以下の系図」である。
以下も第一作からの引用で、両神話が密接な関係にあることを述べた部分である。世代構成としては、アブラハムからヨシュアまでの十五世代とアマテラスからスジンまでの十五世代が比較され、世代数が同じであることを確かめた。ユダヤ側の世代数と同じにするためには、日本側系図に、いわゆる「欠史八代」を挿入する必要があったことも確認した。
また双方の系図骨格線も非常に似かよっていて、ほとんど同じと断言できる。物語については当然ながら登場人物の名前がそれぞれの国で違っているものの、話のあらすじとしては、大枠が一致していると認めざるを得ない。そしてこれらの事実から、どのような結論が導かれるのか。
『古事記』は、古代ユダヤの『旧約聖書』が下敷きになってできている、これが結論である。異を唱える人が多いと思われるが、では日ユ神話・系図と同様の例題に挑戦してほしい。
例えばアフリカかどこかの民族神話の世代数とそれぞれの世代特有の物語において、その神話を知らない人が自らの想像(創造)でそれを創作してみてほしい。だれがやっても、類似の神話を作り出すことは不可能である。
従って『古事記』の編纂者のなかに、ユダヤに精通した人物がいたか、あるいはユダヤ人そのものがいたか、またはユダヤに関する知識を伝授するグループ人脈が存在していたか、その他さまざまな類推が可能である。『日本書紀』の編者の一人でもある太安萬侶こそ、その要素を兼ね備えた人物である。(『日本紀竟宴和歌』序)
両系図を比較することによって、山幸彦や海幸彦などでお馴染みの日向神話は、その下敷きとしてユダヤ神話の系図が利用されていることが分かった。この事実は驚くべきことであり、ユダヤ系秦氏の介在を前提にしないと絶対に納得できないことである。後述するが、日向は秦氏が住んでいた国(移住させられた国)であることは、明らかである。
しかし古代においてユダヤと日本には歴史的関連性ありという、どちらかといえば首を傾げる人が多い題材を選んで議論するには、双方の系図が相似形であることや同世代間の物語が類似していることのほかにも、一層の慎重さが必要になる。すでに第一作では、『旧約聖書』の中のアブラハムからヨシュアまでの15世代と、『古事記』のアマテラスから崇神までの15世代とを比較して、その記述量をベースにして双方の相関を調査している。
「別紙3 記述分量比較表」がそれである。一目して分かることは、他の世代が同じような相対的記述量になっているのに対し、6代目のベリアとジンムのところが大きく違っている。[ベリア≒0% ⇔ ジンム=28・4% ]と、大きな差が生じている。これは違和感が漂う差異であるから、少し詳しく見ることにする。